IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

友人に子どもが生まれた

ずっと子どもが欲しいと言っていた友人だったから、
妊娠の知らせを聞いたときは自分のことのように嬉しかった。

子どもに専念したいから仕事は辞める、と彼女は決めた。

引き継ぎ業務をしながら、早く子どものことだけを考えたいとも言っていた。

 

あっという間に里帰りする時期になり、生まれたとの知らせが届き、
東京に帰ってきているという連絡ももらった。

落ち着いたら会いに行こうと思っていた。

 

久しぶりに近況を聞いたとき、実は落ち込んでいる、と彼女は言った。

 

家にこもりきりで、社会と断絶されていて、孤独だ。

何もできない人になりそうでこわい。

何でもいい、外に出て働きたい。

里帰り中はよかった。代わりに子を抱いてくれる人がいた。

今は泣いている間ずっと抱いていなければいけない。つらい。

早くママ友を作らなければと焦って出かけてみても、既に出来上がったコミュニティに入っていけない。

こんなことでは子どもにも友達ができないのではと不安になる。

 

里帰りのくだり以外、全部、身に覚えがあった。

もう2年以上が経つが、確かに私もそんな風に思いながら毎日を暮らしていた。

あの頃、何をして過ごしていたのだったか。

 

近所の保育園に見学に行ったことや、
子育て広場に行ったものの手持無沙汰だったことや、
どこかに出掛けなければと毎日スーパーへ買い物に行ったことは覚えている。

でも一日の大半をどう過ごしたのか、ちっとも思い出せない。

当時の記憶は孤独と焦りと自分への失望で満たされている気がする。

 

子どもはかわいいと思った。

でもそれだけで他に何も要らない、とは思えなかった。

子どものための私、だけではない何かが欲しかった。

そう思う自分を母親失格のように感じたことも忘れられない。

(今はこれでいいと思えるようになったけれど)

 

つらい、と言う友人に、私もそうだった、としか言えなかった。

あの頃の私は、誰に何と言ってもらえたら救われたのだろう。

赤ちゃんのいる毎日がバラ色じゃなくても、それはあなたのせいじゃない。

無理にママ友を作る必要もない。

いまあまり反応してくれない赤ちゃんも、すぐ笑ったり喋ったりするようになる。

そうしたらもっともっと、かわいいと思うようになる。

 

友人を不完全に慰めて、あとで気づいた。

あの日々の私を支えたのは、絶対に仕事に戻るという気持ちだった。

 

朝寝坊が好きな私が、仕事もないのに毎朝起きて朝食を作り、夫を見送った。

夜中も起こされるのだから、朝寝られるなら寝ていればいいと夫は言う。

それでも毎朝必ず起きた。

いちどその習慣を崩したらもう戻れないような気がした。

退院して家に戻ってから毎日必ず、決めた時間に子どもの沐浴と寝かしつけをした。

生活サイクルができてくる時のため、夜寝てくれるようにするため、
ひいては自分の復帰のために。

 

毎朝必ず決まった時間に起きる。

毎日必ず決まった時間に沐浴と寝かしつけをする。

そういう小さなゴールを積み重ねることで、もっと先の不安が少し消えたのかもしれない。

つぎ彼女と話すとき、それを伝えてみようと思った。

虫(自分が嫌いなものと子どもとの付き合い方)

私は虫が苦手だ。

みんなが苦手であろう、ゴキブリや毛虫はもちろんのこと
カブトムシやチョウチョも同じように苦手だ。

 

都市部のマンションで暮らす分には、虫との接点はごく少ない。

夏になれば蚊に刺されるくらいは仕方ない。

秋になってそこここに落ちている蝉の死骸はこわいが、害があるわけではない。

台所はきれいにしておけば羽虫やハエも発生しない。

 

ところが、先日、家の前でゴキブリを見てしまった。

私が怖がる様子を見て子どもも怖がり、その日は早々に寝たほどだ。

家の中では遭遇したことがないものの、家の前にいるのでは他人事ではない。

対策のサイトを読み、万一のために駆除用の餌を仕掛けた。

その後、ゴキブリの姿は見ていない。

 

たった1度の遭遇でも子どもにとっては印象深かったのか、
夜、暗い道を歩くとき「むし、いない?」と聞くようになった。

ひとりで歩かず、手をつなぎたがるようになった。

 

この春から、子どもの通う園では青虫を飼っている。

園庭の草にいた幼虫を虫かごに入れて飼い、毎日園児が餌の葉を取り換える。

図鑑を見ながら観察し、チョウになったら庭に放すのだという。

「あおむしがいるんだよー」

「さなぎになったよ」

「ちょうちょさん、もういないの。バイバイしたの」

と、子は毎日楽しそうにその様子を教えてくれた。

 

いつか子どもが、大好きな青虫もチョウチョもゴキブリも同じ虫だと知ったとき、
なんでゴキブリは殺してしまうのかに疑問を持ったとき、
親は何と答えればいいのだろう。

 

見た目が嫌いだから殺す、ではあまりにひどく聞こえる。

でも現実問題そうだ。

たとえば、食べるために生き物を殺すことは
仕方がないと思えるし、伝えなければいけない大切なことだと思う。

ではゴキブリはどうなのだろう。

 

どう悩んだところで、ゴキブリと共存はしたくないから掃除する。

掃除してももし家に入り込まれてしまったら、駆除するしかない。

嫌いだから、怖いから。

 

子どもがいなければたぶん疑問も持たなかった。

みんなはどうしているのだろうか。

行き当たりばったりに子どもの服を作る

子ども服や小物を、少しずつ自分で作るようになった。

 

と書くと、すごいものを作っていそうに見えるかもしれないけれど
ごくシンプルなズボン、レッグウォーマー、シュシュやティッシュケース程度だ。

洋裁(と書くとまた大袈裟だ)の経験は家庭科の授業に毛が生えた程度。

家にあるのは特別高価でもない、普通のコンピュータミシン。

時間もそれほど掛けられない。

 

そんな状況で、服を作ろうなどと大それたことを思ったのは
夫がワイシャツを大量に捨てようとしていたからだった。

 

襟や袖は擦れているものもあるが、体の部分の布はまだまだきれい。

何かに使えないだろうか、と考えた。

白やブルー、無地やストライプの木綿生地。

そういえば子どものお昼寝シーツの洗濯替えが欲しかった、と思い出す。

(わが子の園では手作りのお昼寝シーツを持参することになっている)

 

余計なボタンやポケットがついていない背中の部分を使うことにする。

ワイシャツから襟と袖を切り落とし、寸法を測る。

4枚縫い合わせればいけそうだと算段がつく。

同じ色柄はないけれど、同系色でパッチワークのように作れば却っていいかもしれない。

お昼寝シーツはキャラもの禁止だから、地味すぎて浮くこともない。

もし失敗しても、捨てるつもりの服だと思えば諦めがつく。

 

そうして見切り発車でワイシャツを縫い合わせ、シーツは無事完成した。

残ったのは4着分のワイシャツの袖と前身頃。

これは何かに使えないだろうか。

 

肩から切った袖を眺めていると、どうも子どものズボン(現在サイズ90~95)を作れそうな気がした。

トイレットトレーニング実施中の折、ズボンはいくらあっても困らない。

とりあえずやってみよう、と考えた。

 

カフスは固いから切り落とし、裾を折り返して縫う。

既製品のズボンを裏返して見ながら、股のあたりの布をなんとなく切って縫う。

ウエストにゴムを通す用の折り返しを作って縫う。

そうして完成したズボンは微妙にローライズ気味だった。

 

めげずに第二弾を作る。

今度は色気を出して裾にレースを縫い付け、ローライズにならないよう股上を深くした。

このズボンは今でも現役で履いてくれている。

 

第三弾はポケットを付けよう、とわくわくしながら縫った。

二作目と同じように作ったつもりが、太もも周りが微妙にきつい。

ここらで型紙なしの目分量はよくないのかと思い始めた。

 

次は何を作ろうか考えている時と、無心でミシン縫いをしている時は楽しい。

捨てるはずだったものが他のものになって甦るのも楽しい。

手間と出来を考えれば、服を買うほうが早いのは分かっている。

これはもう、自己満足と趣味の世界だと思う。

 

働く意味が欲しい(贅沢なのは分かっている)

妊娠中からずっと、私は仕事に戻りたいと思っていた。

 

夫とはどうすれば復職できそうかを話し合い、
家庭に入れと言ってくる自分の母親とは何度も喧嘩した。

育休中、私自身も規則正しい生活をしたし
子どもは毎日必ず同じ時間に寝かしつけた。

 

運よく保育園が空き、そして仕事に戻れて、幸せだと思ったのは一瞬だった。

すぐに「毎日定時に帰る」「頼りにされない(と思い込んでいた)」自分の立場が嫌になった。

かといって、シッターを駆使してバリバリ働きまくることもしたくなかった。

 

働きたい。子どもを優先したい。でも頼られたい。

私はいったい何がしたいのか分からず、そんなとっ散らかった状態を誰にも言えなかった。

9時から5時だけきっちり働く。給料のためと割り切る。

それができず、ひとりうだうだと悩んだ。

 

私は誰かの役に立ちたかったのだと思う。

別にボランティア精神ではない。

誰かの役に立って、感謝されて、自分はここに居てもいいと思いたかった。

ひとに迷惑を掛けるだけの存在でいるのは辛かった。

 

でも保育園に入れただけで幸せ、戻れる会社があるだけ幸せというような世の中(そう感じていた)で
そんなことを言うのはとんでもなく贅沢な気がした。

待機児童はたくさんいる(とされている)のに。

それに、私程度がそんなことを言うのは、不遜でもあると思った。

どんな働き方をしようが、優秀な人なら求められるはずだから。

 

誰から言われるでもなく、私は勝手に思い悩み鬱々とした。

私はそういう面倒くさい人間だ。

 

今の会社にはマネジメント層になるというキャリアパスしかない。

「子どもがいる女性にマネジメントはさせない」と社長は言った。

年功序列で給料が上がっていく会社ではない。

別に出世をしたいわけではないけれど、
給料が上がることはサラリーマンのモチベーションでもある。

終わったな、と思った。

 

運よく復職しても、仕事に未来を感じられなかった。

復職したい、したい、と願っていた気持ちはそのまま
明るい展望がほしい、ほしい、という気持ちに変わった。

贅沢であることは分かっていた。

でもどうしてもその生活で十分とは思えなかった。

 

復職して1年ちょっと経ったころ、社外の勉強会に参加した。

家庭は幸せだったけれど、仕事のどうしようもない閉塞感から
ふと、行ってみようかという気になった。

 

結局のところ、それが私を救ってくれたと思う。

定期的に顔を出すようになり、仕事=会社のことだけになっていた視界がクリアになって
新しいことを勉強している時だけは少し未来を感じられた。

具体的に勉強が将来につながったわけではなく、今はただの自己満足に過ぎない。

それでも外に出て行ったことは本当によかったと思った。

 

人によってそれが趣味だったり、友人との付き合いだったり、
お酒だったり、ひとりで過ごす時間だったり、いろいろなのだろう。

 

働く母は忙しい。親の助けもない。

子どものことと仕事のことでいっぱいいっぱいになりながら、
それでも何かがないと息が詰まってしまう。

外に出よう、と思った。

 

 

「働く母」の立場を後ろめたく思うとき

専業主婦(希望)の人から見たら、私は負け組なのかもしれない。

でも私は今の立場が好きで、幸せだ。

 

仕事が好きだし楽しい。(もちろん苦しいこともある)

運よく熱心な保育園に入ることができ、おいしいごはんを食べて友達と遊び、
日々成長していくわが子を見るのも嬉しい。

私はものぐさで出不精で、仕事がなくなったら間違いなく引きこもりになる。

だから働いて表に出たほうがいい。

働けばお金ももらえて、世帯収入が増えることは子どもにとっても無関係ではない。

将来大きくなった子どももきっと、働く私を良いと思ってくれるだろう。

 

と大まかには楽観して、現状を肯定している。

でも「働く母でさえなければ」と思うときがある。

 

子どもの体調不良のときだ。

純粋に子どもの体調を心配する気持ちとは別に、「今はあの仕事が」「今月はもう休めない」と
仕事の都合が頭をめぐる。

園からの呼び出しや、朝の発熱には「きてしまったか…」と思う。

それがとても後ろめたい。

もし専業主婦なら、子どもの体調だけを心配できただろうか。

熱で何日寝込んでも「ゆっくり休んでよくなってね」と思えただろうか。

 

今日もまた呼び出しがかかり、気ばかり急く帰りの電車の中で「なぜ今…」とよぎる。

何も予兆はなかった。無理もさせていない。そういえば機嫌が悪かった。でも。

今週持ちこたえて土日に。せめて来月であってくれたら。

 

すまないわが子。

自分で編み出したテクニックのようなもの:乳児期

あまり育児書や育児ブログは読まなかった。

だからひょっとしたら、自分で編み出したつもりがあたりまえのことだったりするかもしれないし
もっと他にいいやり方があるかもしれない。

とりあえず試行錯誤したころを思い出しながら書いてみる。

 

便秘になったとき(離乳食より前)

・ミルクを変える

 うちは混合栄養だった。

 母乳だけなら便秘になりにくいというけれど、母乳だけでは足りなかったから仕方ない。

 産院がほほえみだったから何となくそのまま家でも使っていたが、はいはいに変えると便秘しづらくなった。

 逆にはぐぐみにすると恐ろしいほど便秘した。

 体質も関わりそうだから一概には言えないと思う。

 ミルクにこだわりがないなら、まずは少量パックを買っていろいろ試してみるのもいいかもしれない。

 

・縦に抱いてみる

 首すわり前は、自分は床に座って、子を膝の上に横抱きにしていることが多かった。

 でも、ふと、縦にしたら物理的に出やすいんじゃないだろうか?と気づいてしまった。

 自分がソファなどにもたれて、おなかの上に縦に置き、体の両脇を支える。

 この姿勢でしばらく過ごすとするっと出てくることが多かった。(気のせいかもしれない)

 

急いでミルクを作りたいとき

自分一人の時に子が泣いて、一刻も早くミルクをあげたいとき。

うちには温度調節できるポット類がなく、電気ケトルでお湯を沸かしていた。

粉ミルクの缶の説明によれば、お湯を沸かして哺乳瓶で調乳し、流水にあててミルクを冷やすという手順になる。

その間もずっと子は泣いているし、一人では抱っこもできない。

 

粉ミルクの作り置きはNGだし、一旦沸騰させたお湯でなければならないし、
冷凍などしたものをレンチンするのもあまりよくないなど制約が多い。

少量のお湯で作り、水で割ればいいのでは?とも思ったが、生水がよくない。

ならば湯冷ましを冷蔵庫で冷やしておく?

でもそれもあまり長期間使うのは衛生上よろしくなさそうだ。

などと考え、何かで割る方式は、何かが混入したら困るという点で諦めた。

 

上記の手順の中では、冷ます時間がとにかく長い。

プラスチックの哺乳瓶は全然中のミルクが冷めてくれない。

ガラスは多少ましだが、それにしても流水で冷えるまでには時間が掛かる。

ならば、熱伝導のいい入れ物でミルクを作ればいいのでは、と思いついた。

 

100均で買った金属製のコップに粉ミルクを作り、ボウルの氷水を当てて冷やすとだいぶ時間短縮になる。

この金属コップには、気づいてから卒乳まで、ずいぶんお世話になった。

今ならミネラルウォーターで割って済ませる気もする。

 

寝かしつけ(0歳)

一度寝付けばそこそこまとめて眠ってくれるわが子だったけれど、そこに至るまでは
毎日だいぶ試行錯誤した。

昼間たくさん寝てくれると、ゆっくりできると喜ぶより前に「これでは夜寝ないかも…」と心配するくらい
子どもの寝かしつけに頭を悩ませていた気がする。

(単に夜たくさん寝てほしいという以外にも、復職を考えて生活リズムを作らねば!と
 気負っていたせいもあると思う)

 

抱っこでゆらゆらという王道から、抱っこスクワット、座って抱っこして腰を回すなど

いろいろな動きを試したし、子守唄、童謡、JPOPなど歌もいろいろ歌った。

 

結果、たどり着いたわが子用メソッドがこれだ。

 

毎日同じ時間に沐浴したあと、部屋の電気を消す。

布団に寝かせて寝る前のミルクを飲み、このまま寝てくれたらラッキー。

寝ずに泣いたら、横抱きで眠るまで揺らす。

子の頭と足を交互に高くする、自分の両腕で横向き8の字を描くような動きが効果的だった。

(スクワットは、機嫌が悪いときには効果抜群だったが、寝かしつけにはあまり効かなかった)

 

抱っこで寝たら、更に数分様子を見たあと、布団に下ろす。

この時、くるくる丸めたバスタオルか毛布を使って、布団の上に楕円を作っておく。

微妙なたとえだけれど、便座カバーのような形をイメージすれば間違いない。

「背中スイッチ」とよく言われるほど背中は敏感らしいから、この楕円に体を乗せて
背中がどこにも触れないようにするために使う。

 

これを使っても起きてしまうときもあったが、「布団に置いたとたん起きて泣く」という
がっかりシチュエーションは半分以下になった。

 

まとめ

便秘になったとき

・ミルクを変える

・縦に抱っこする

 

ミルクを素早く作りたいとき

・金属コップに作り、氷水を当てて冷やす

 

寝かしつけ

・抱っこして左右揺らしを寝るまで繰り返す

・バスタオルを丸めて楕円形に置いたものの上へ寝かす

「見立てる」ということ(こどもの遊び)

自分の子が生まれるまで、ほぼ子どもと接点がなかった。

ばたばたと慌ただしい毎日を過ごしながら、ふと気づくと
子どもとは何とすごいのかと驚く。

 

生後半年が過ぎたころ。

離乳食を食べるようになり、「おいしい」とほっぺを叩く動作を覚える。

これは園の先生がやっていたから見て真似たのだろう。

 

それからもっと時間が経ち、絵本を楽しむようになる。

お気に入りの絵本の、いちごやみかんのページを見て食べる真似をする。

それからほっぺを叩く。

 

その絵本のイラストは写真のようにかなりリアルだ。

だからいちごの絵を見れば、記憶の中の実物のいちごと結びつくのは分かる。

食べる真似をするけれど、本当に絵本を口に入れようとはしない。

においも味もないはずだ。

でも「おいしい」の動作をする。

何となく眺めていたが、よくよく考えればすごい。

 

・いちごの絵を見ていちごと理解する。

・食べる真似をする。(実際には食べないし、本当にほしがったりもしない)

・食べた後と同じ反応をする。

 

「ごっこ」をきちんと理解している。

こんなにいろいろなことが、1歳やそこらの子どもにできるのか、と驚いた。

 

更に成長すると、リアルな絵がなくても
そこにあるものを何かに見立てておままごとができる。

赤いからりんごとか、筒状のものはお茶とか、そういった具合だ。

これがまたすごい、と思う。

 

・何かの特徴を捉えて記憶していて(りんご=赤など)、似た要素を持ったものを代理で使える

・違うものを何かに見立てることができる

 

これらを言葉で説明されるわけでなく、理解しているということがすごい。

「これは赤いからりんごということにして進めよう」などという合意形成もない。

子どもにとっての見立てやごっこは、現実世界とは境界がないのだろうか。

でも絵本をかじったりしないということは、弁えているということでもある。

 

もはや何もなくても、見立てる代理品なしでもおままごとは進む。

もちろん「ここにおやつがある体でお願いね」などという合意はない。

でも子どもは笑顔で手の上に何かがある体で「どうぞ」をするし、私も笑顔で受け取って「おいしーい!」と言う。

そこに何もないことは子どもも分かっているだろうし、
私から見ても何もないのも知っているだろう。

それでもおままごとは成り立つ。

ふしぎだ。

 

おもちゃがなくても子どもは遊べる。

きっとこどもの頃は、私も同じようにできたのだろう。

言い古された言葉ではあるけれど、
「子どもの想像力は無限大」だとか「子どもは遊びの天才」だとかが
しみじみと腑に落ちる。

子どもはすごい。