IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

何かがあったときに諦めがつくかどうか

もう2年以上前になる。

 

妊娠が分かったとき、もともとあまり飲んでいなかったアルコールはすっぱり止めた。

喫煙の習慣はなかった。

毎日たくさん飲んでいたお茶とコーヒーは全てノンカフェインのものに変えた。

渋めの緑茶が好きだったから、麦茶に切り替えるとずいぶん味気なかったのを覚えている。

体重制限の厳しい産院にかかったから、食事の内容と量に気をつけ、間食せず、お菓子類は一切食べなかった。

人にもらったお土産などもすべて、家族に食べてもらった。

 

アルコールと煙草はともかく、カフェインとお菓子は絶対禁止ではなかった。

でもそれを一切摂らないように暮らし、出産まで(そしてそのあともしばらく)貫いた。

 

通勤以外の人混みを避け、遠出を避け、飲み会も遠慮し、外食の時は分煙の店すら入らないようにした。

リスクと思えるものすべてを慎重に避けていたと思う。

 

元から真面目な質だというわけでもなく、特に禁欲的でもない。

途中の誘惑はたくさんあった。

でも続けたのは、「何かがあったとき諦めがつくか」を考えたからだ。

 

たとえば難産だったり、子どもが病弱だったり、というような何かがあったとき
「カフェインを摂りすぎたせいか」「体重管理をもっとしっかりしていれば」などと思いたくなかった。

出産は自分ひとりの一大作業で、しかも子どもの一生にも関わることだ。

何かがあったとき、自分のせいだ、と思いたくなかった。

 

どんなに気をつけても、それで安産や健康な子どもが保障されるわけではない。

自分の努力だけで良い結果が得られるなどと、そんな傲慢なことはもちろん考えていない。

 

でも、それでも、自分がやれることはやった、と思えるかどうかが
私にとっては大事だった。

自分の欲に負けたら、きっとずっと後悔する。

私の性格ならそうだ。

 

私より前に妊娠した友人が何人か、妊娠中の飲酒を告白した。

どうしても我慢できなくて、とその時のことを語っていた。

そのうち2人は早産になり、大変な苦労をしたというのも、後から聞いた。

さぞ辛かっただろう、と思ったけれど、本人たちは案外気にしていないのかもしれない。

たった数回の飲酒で何かが起こるとは誰も言い切れない。

飲まなくても同じ結果だったかもしれない。

でも、1回なら平気かもしれなくても、5回なら?10回なら?

そう考えると、やっぱり飲まないのが一番な気がする。

 

こう書くとずいぶんご立派に見えるかもしれないので白状すると、
悪いことと知りながら、妊娠中でもコンビニごはんを食べていた。

そもそも妊娠中でも連日22時頃まで働いていたのだから
妊娠中の行いをとやかく言える立場ではない。

なんとなく、流産やその他は大事件で、自分に起こるはずがないと漠然と思っていたし
みんなが忙しく働く中、妊婦でございますと定時帰りなどできるばずないと思っていた。

馬鹿だ。

 

妊娠中の方やこれから妊娠するかもしれない方、

どうかどうか、御身お大切に。

集中力がなさすぎる

復職して痛感したことの一つに、集中力の低下がある。

これは他の復職女性も言っていたからよくあることなのかもしれない。

ブランクで鈍った、というようなものではないと思う。

何故なら復職からそろそろ2年たつ今も、集中力が戻らない時があるからだ。

私の産休・育休は合わせて半年ほどだったから、それが理由なら
2年も働けば取り戻せているだろう。

 

なぜ集中力が下がったかを考えてみた。

ひとつはたぶん、物理的な問題で、単純に考えるべきことが倍増したせいだと思う。

仕事は限られた時間内で終わらせなければいけないのに、
考えることが増えて集中できないというこの矛盾。

 

昼休みになったら郵便局に行って駐輪場の料金を振り込まなきゃ…

帰り道にあの店で食材を買って…

夜ごはんは冷蔵庫のあれを焼いて…

今朝子どもの元気がないようだったけど今ごろ大丈夫だろうか…

ああ、新しく買った服に名前をつけないと…

そういえば転園するおともだちへの寄せ書き、今週中だったっけ…

おそろしいほどあちこちへと思考が散らかる。

 

もう一つは、たぶん気持ちの問題だ。

先が見えないから集中できない。

いま頑張っても、自分以外の都合で仕事を辞めなければならない日が来るかもしれない。

続けたくても仕事がなくなってしまうかもしれない。

今せっせと勉強しても、私を必要としてくれる仕事などあるのだろうか?

 

正社員として就職していながらも、この先の見えなさはSIer独特のものだと思う。

独自サービスは持っておらず、客先に出て働くのが全ての弱小SIer

受け入れてくれるお客様がいなければ会社に居続けることは難しい。

幸い今は仕事があるけれど、今のスキルのまま年を取ったら敬遠されるのでは?
という不安は常にある。

それでも求められる人になるか、自社サービスを持てるよう努力するか、転職するか。

選択肢はいくつかあるものの、今すぐできるようなことではない。

 

先が見えて、目指すものがあるから人は頑張れる。

無駄になるかもしれないけれど頑張ろう、と思えるのは心が強い人だ。

無駄かもしれないならいっそやらないほうが…という考えがちらつく。

こういうのをかのスティーブ・ジョブズ氏はconnecting the dotsと表現したのだったか。

 

今やっていることが先につながると信じること。

これは凡人にはなかなか難しくて、
頑張って頑張って駄目だった挫折より、最初から諦めるほうを選びそうになる。

「子どものために時間を使ったの」と言い訳はできる。

誰からも責められない言い訳がいつでも用意されている分、ワーキングマザーは誘惑が多い。

 

最初から子ども重視で働きたいならちっとも間違っていないけれど、
私のように仕事への欲を捨てられない人が
いつか挫折を回避するために子どもを言い訳にしてはいけない、と思った。

お金がないのが問題じゃない

子どもを一人育てるのに○千万円必要だ、というような話をよく聞く。

子どもはお金がかかる。

でも働く世代の給与は昔に比べて下がっている、または上がらない。

だから夫の収入だけでは家族を養えず、妻も働かなければならず、
(A)なのに保育園が足りておらず、
(B)働きながら子育てもするハードな暮らしを望まない人が増え、

少子化が進む、という論調がすごく多い。

 

でも自分のもうすぐ2年の復職生活を考えても、
問題はお金がないことではないと思った。

 

お金があれば私は働かなかったのだろうか? たぶんNo。

お金が欲しくないとは言わないが、やはり仕事をしたかったのもある。

 

お金があれば私はもっと楽に働けただろうか? たぶんNo。

シッターさんや家事手伝いの人をお願いするお金がなかったわけではない。

でも面倒だったり、他人を家へ上げることへの抵抗だったり、
主婦なのにという罪悪感だったりで実行できなかった。

(これは一度お願いしてしまえば気にならないことなのかもしれないけれど)

 

じゃあたとえば、子どもを育てるのに必要と言われる○千万円を
余裕で用意できる家庭があるとして、
奥さんは働かずに家で子どもを見ているとする。

これは果たして楽なのだろうか?

たぶん、ぜったい、楽ではない。

自分の体調不良の時を思い出してみたら分かる。

 

お金があろうがなかろうが、子どもを育てる以上
楽なんて選択肢はないんじゃないかと思う。

ただ、個人によって合う合わないはあるから、
専業のほうがいい人もいれば働きに出たい人もいるというだけで。

 

楽させてほしいとは思わない。

でもたまにある大変な時期が、もう少し楽に過ごせる何かがあったら嬉しい。

それが何なのかはよく分からないけれど。

怒涛の3月

ちっとも暖かくならないと思っているうち、薄着で会社に行ける日が増え、桜が咲いた。

前回の日記からあっという間に日が経ち、もう3月が終わる。

振り返れば余裕のない1か月だった。

 

自分が体調を崩したあと、子どもも熱を出し、体調を崩した。

熱が出ること自体は今までに何度もあった。

でも翌日にはすっかり元気になって登園できていたのに、今回の熱は
朝下がり午後上がる、を繰り返した。

発熱で1日休んだあと、登園後に呼び出される日が2日続く。

夫は外せない仕事があるからと、私が1日休み、2日早退の3連続。

さすがに翌日はもう無理…でも夫は…と一人悶々とした。

 

そういえば、前回子どもが熱を出して夜間救急に行ったときも
夫は出張で家を空けていた。

こんな時に限って、と思う。

夫の仕事がいくら大事だからといって、
私の仕事が大事じゃないわけじゃない、と一人苛立つ。

 

病児シッターさんに頼むべきか。

でも手配から家の掃除、子どもの食事の用意まで、結局やるのは私。

疲れた。失望した。

 

せめて「任せきりでごめん」と言ってくれたら。

「明日は俺が休むよ」と言ってくれたらいいのに。

 

私が熱を出した時も残業していた夫。

子どもが熱を出しても休んでくれない夫。

家事をしてくれる、子どもを可愛がってくれる、世話もしてくれる、
でも家にいないからあてにできない夫。

夫が悪いわけではないと分かっている。

仕事だから仕方ない。遊んでいるわけではないのだから。

でも怒りがつのって止められない。

 

そんなぐるぐるした感情を抱え、なんとか子どもが登園して通勤してからは
時限爆弾のような思いで携帯を見つめた。

たまった仕事を片付け、慌ただしく帰り、荒れた家を整理する。

なんとか子どもが本調子になったと思ったとき、

またも自分の体調不良が分かった。

 

咳がずっと続くから、この機会にしっかり診てもらおうと受診した。

そこで大きな病院にかかることを勧められ、他の病気が見つかった。

命にかかわるようなものではないのが救いだが、病気は病気だ。

この先どれくらいの付き合いになるのか、
意外にあっさり治るのか、確実なことは分からない。

 

仕事を辞めるべきだろうか。

なんとか復帰してここまで続けたのに、こんなことで辞めるのか。

人に迷惑を掛けながら続けることは正しいのだろうか。

 

頼れる親がそばにいれば、こんなことは悩まずに済んだのだろう。

親がいなくてもやれる、夫婦ふたりで乗り越えると思って今日まで来たけれど
この時は素直に羨ましいと思った。

夫が仕事で忙しければ、私を助けてくれる人はいない。

誰かが「大丈夫、今は寝ていていいよ」と言ってくれたらどんなにいいだろう。

 

たぶん体調が悪くて、思考も後ろ向きになっていた。

おそろしく孤独だと思った。

自分ばかり大変な気がしていた。今思い返せば恥ずかしい。

 

三大・復職後に体がきつかったこと

先日、会社に向かう道を歩きながらふと考えた。

復職してから、キツかったことトップ3は何だろう。

キツいと言ってもいろいろあるから、身体面に限ろう。

子どもの体調は含めず、自分のことだけで考えてみよう。

 

ひとつめはあれだろうか。

わりと復職してすぐの頃だ。

熱が出て、幸い会社は休めたものの、夫は仕事に行ってしまって
ふらふらになりながら子を保育園へ送ったこと。

この熱で、子どもを抱いて(まだあのころは抱っこ登園だった)園まで着けるのだろうか、

でも家に置いておいて風邪をうつしたら困る、

それに子どもがいたら私は寝ることもできない、と思いながら歩いたこと。

普段は何でもないちょっとした坂道もひどく堪えた。

 

なんとか子どもを送り届け、家でひたすら寝た。

なぜか、鎖でぐるぐるに全身を縛られている夢を見た。

その時働いていた客先はブラック臭漂う体力勝負の職場で、
休んだツケを休日出勤で払うことになったのだったか。

 

その熱のことはブログに書いていなかったみたいだけれど
その職場で鬱々としていたころのことは書いてあった。

もう二度と戻りたくない。

 

ふたつめはあれだろう。

子どもを迎えにいき、自転車に乗せるためにかがんだ時の腰の違和感。

最初は痛いというより、「あれ?」という感じだった。

夜になるとどんどん痛くなり、危険かな…と思いながら寝て起きたら激痛になっていた。

この時は仕事を休めず、夫の帰りが遅くて病院にも行けず、痛み止めを飲んで3日過ごした。

週末やっと整体に行きそれからしばらく通った。

我ながら無茶をしたものだと思う。

 

この時のこともブログに書いていなかった。

確か夏だったような気がするけれど、うろ覚えだ。

 

さて、みっつめはなんだろう…と考えたら、思い浮かばなかった。

復職して1年半ほど、体調面でつらかったのが2回だけ。

数えきれないほど風邪はひいた。でもいちいち思い出すほどのことでもなかった。

なんだ、私は恵まれているんだな、と思った。

 

その日、仕事をしながら寒気がすることに気づいた。

あれ、と思ううちに顔がほてり、手で頬を触ればひんやり気持ちよく、
これは熱が出ているのではないかと思った。

体がふわふわと暖かい。なんだか気持ちいい。座り仕事でよかった。

などと思っていたうちは平和だった。

 

夕方になり会社を出て、電車に乗り保育園に向かう。

どんどん熱が上がっているのが分かる。夫は今日も遅いはずだ。

最寄り駅に着くと雨が降っている。熱があるのに雨に濡れたらどうなるのだろう。

勘弁してほしいと思いながらスーパーで食料を買い込む。(本当は寄り道はNGだが)

消化にいいもの、さっぱりしたもの、ビタミンC。

あとは何だろう。考えがまとまらない。

 

保育園に着き、イヤイヤ期の子どもをなだめすかして自転車に乗せ
傘を差して片手運転で帰宅する。

自分の鞄と園のバッグ、傘にレインコート。子どもの抱っこ要求に本気で泣きたくなる。

なんとか家に着くと、今度は子どもが靴を脱がないとごねる。

 

子どもの作り置きごはんをレンチンし、お湯を沸かしてインスタントおかゆを作り、
そのころには機嫌を直した子どもと食事をとる。

家には熱冷ましの薬くらいならあるけれど、熱は下げないほうがいいと以前聞いたから
何も飲まずに寝てしまおう。

 

熱を計るべきか、数字を見たら余計気分が悪くなるだろうか。

この浮遊感、でも歩けなくなるほどではないことを考えたら38度台半ばと予測する。

計ってみると果たして38.7度だった。危ない。

明日も下がらなかったらインフルの検査をしなければ。

回復には体を温めるといいんだっけか、と思いながらふらふら布団を敷く。

子どもの着替え、おむつ替え。

こっちの惨状を知る由もなく元気な子どもが一人遊びを始めたころ、
限界になって先に寝た。

 

部屋はきっとひどく散らかっているのだろう。

鞄は玄関に置きっぱなし。脱いだレインコートも放置してある。

食卓には食器が置きっぱなし。

もちろん洗濯もしていない。

ああ、もう全部明日にしよう。明日は熱が下がってほしい。

 

 

というわけでみっつめのきつかったことがつい先日、到来した。

次はずっと先であることを願う。

もうそろそろ争いをやめよう :ベビーカー論争

このブログでも何度か、私見を書こうとしてやめた。

うまくまとまらない気がした。

 

でもつい先日、ものすごく腹立たしい記事を某所で読んでしまい、
やっとこの件に関して自分が思っていることが分かった。

だから書いておこうと思う。たぶん長くなる。

腹立たしい記事へのリンクはないしタイトルも書かない。

(炎上商法かもしれないものに僅かでも燃料をあげてはいけない)

 

整理する。

ここでいうベビーカー論争とは、
電車(主に満員電車)にベビーカーを載せることの是非についての議論を指す。

議論と呼べないレベルのものも含む。

 

私は子どもを育てる親であり、子どもはまだベビーカーに乗るような年齢である。

ベビーカーを満員電車に乗せたことはない。空いた電車に乗せたことはある。

また、満員電車で通勤する会社員でもある。

だからどちらの気持ちも想像しやすい立場だと思う。

ベビーカーや電車や育児の専門家ではない。

 この論争については、ブログやニュースサイト、それらに対するコメントなどを読んだ程度だ。

「かじった程度」と言えると思う。

 

ベビーカー反対派の主な意見は

 (A-1) 場所を取るから満員電車に乗せるな。

 (A-2) やむを得ず乗せるなら畳め。

 (B)  あんな危険な場所に子どもを乗せるなど、親として間違っている。

 (C-1) 不要不急の用事なら時間をずらせ。または並んで始発に乗れ。

 (C-2) それができないならタクシーで行け。

あたりかと思う。

 

 

対する容認派は、

 (A-1) それを言うなら車いすはどうなのか。太った人は?

 (A-2) お母さん一人で子どもを抱いたまま畳むのは難しいし危険。

 (B) 好きで乗せているわけない。通院や保育園など、事情があるからだ。

 (C-1) いつもそれができるわけではない。子連れが長時間並ぶのは難しい。

 (C-2) それができるとは限らない(経済的な理由など)。なんでそこまでしなきゃいけないの?

というような反論をしていたり、

 (X) こんなことを言っている先進国は日本だけ。外国はみんな子供にやさしい。

 (Y) これじゃ少子化も進むわけだ。

 (Z) 将来の年金を支えてくれるのは子どもたちなのに。

と嘆いていたりする。

 

私は何かすっきりしない気持ちになりながら、これらのやりとりを眺めていた。

子どもがいる身としては、一方的に子育て世帯が邪魔扱いされるのは悲しい。

しかし「子育ては正義!他の人は我慢して当然!」状態になるのはもっといやだ。

そういう言葉は周囲の人に言ってもらうものであって、自分で言ったらただの痛い人だ。

(蛇足だが、子育て正義派の人はよく上記の(Z)を言っている気がする)

 

戦争はいつもそうなのかもしれないけれど、どちらも自分を「正義だ」と思っていて
でも何かが違う…と思えてならなかった。

邪魔だからどけ、ではただのジャイアンである。

子育ては正義、周囲が寛容になれ!とも思えない。

「ご理解とご協力」「マナー」「ゆずりあい」「配慮」とごまかされるのも違う。

何が違うのか、と思いながらも
ベビーカー論争の記事を見つけるとクリックしてしまう日々を過ごしていた。

読んではひとり、考える。

 

「ベビーカー邪魔。あれ畳めば大人が3~4人は乗れるのに」

3~4人は大袈裟かもしれないけど、確実に2人は乗れるだろうな…

 

「それなら太った人はいいの?足広げて座る人は?臭いひとは?」

確かに、重量で言えば、50キロの女子と100キロの男子は倍違う。

横幅だって1.5倍くらいは違いそう。女子の隣に座ると座席が広い。

足広げて座る人、やめてほしいよね…

 

「働いてなさそうな母親があの時間に電車乗る必要なんかあるのか?」

「健診とか病院受診とか、大事な用事だってある」

大きな病院で見てもらうような病気になると、お母さんたちは大変だろうな…

そういえば前いた職場のそばには大きな病院があって、赤ちゃん連れも多かったな…

核家族で専業主婦だったら、自分の具合が悪いときも赤ちゃんを連れていくしかないんだろうな…

 

で、ふと気づいた。

なんで反対派の彼らは、こんなに裁こうとしてるんだろうか、と。

 

車いすはいいけどベビーカーはだめ。

通勤はいいけど遊びに行くのはだめ。

 

心情的には分からなくはない。

車いすの人がいれば、病気やけがで大変なんだなと想像がつく。

でもベビーカーを見たら

「母親が楽するための道具」「昔の母親はみんなおんぶしてた(らしい)のに」
なんて思っている人は一定数いるのだろう。

 

母親が楽したいために、乗れたはずの他の大人が乗れなくなる。けしからん!

みんな大変な思いをして会社に行くのに、勤めている風でもない母親が
ベビーカーでのんきにお出かけか。けしからん!

 

違う、違うんだ、と思った。

 

ルールで決まってない以上、何が良くて何がだめかは個人の感覚でしかない。

だってJRや地下鉄は「通勤のお客様に優先乗車していただきます」とは言っていないのだから。

個人的にどうムカつこうが、「俺は仕事に行くのに、遊びに行くあいつらが邪魔する」
というのは単なる八つ当たりにすぎない。

 

JRには「折りたたみ式自転車においては折りたたんで専用の袋に収納したもの」
なら持ち込んでよい、という規定がある。

ベビーカーを畳むことについては規定がない。

だから「畳めばもっと人が乗れるんだから畳め」はマイルールの押し付けにすぎない。

 

それって、「そういうゲームデザインだから」というのと同じことだと思う。

 

文句があるなら、そういうルールにしているJRやらに言うべきなのに、
(ウェブ上であれ)ベビーカー親に向けているのがおかしい。

「乗ってる奴がひとりが降りれば代わりに自分が乗れるのに」では誰からも相手にされないが、
「ベビーカーを畳めばいいのに配慮が足りない」「子どもを危険にさらしてけしからん」
なら意見を言った気になれるからだろうか。

 

ベビーカー反対派でベビーカー親を攻撃しているみなさん。

言う相手が違っているので、どうかこれからは正しい相手に意見陳情してほしい。

ベビーカー親のみなさんが心を痛めているのは見るにしのびない。

JRなりメトロなりに、「ベビーカー専用車を作れ」でも「人間専用車を作れ」でも
「重量課金制にしろ」でも「占有スペースに対して料金を徴収しろ」でも
お好きな意見を言ったらいいと思う。

国に「子育て世帯の通勤時間帯の外出用タクシー代を支給しろ」でも
自分の勤める会社に「グリーン車の定期代を支給してくれ」でも
いっそ自転車通勤に切り替えるでもいい。

乗らせたくないのか、せめてお金を払わせたいのか。

誰になにを陳述するかで、ベビーカー親をどうさせたいのかが見えておもしろいと思う。

 

そして容認派のみなさん。

「通院だから、保育園だから仕方ない」と事情を話すのは、
それに該当しないときは仕方なくない、悪い!
と言っているのと同じことになってしまう。

だから、反対派の人を必要以上に説得しようとしないでくれたらいいなと思う。

許す許さないを決めるのは私たちではない。

 

それから、子育ての大事さ、大変さ、諸外国の優しさを訴えるのは
あまり大っぴらにしないほうがいいと思う。

そういうものがまた別の火種になっている気がしてならないからだ。

 

 

ベビーカー論争。

いつかすべての論点を解決するような次世代ベビーカーが生まれて
あの論争は電○や博○堂の仕込みだったんだね、なんて言われる日が来たら…こわい。

 

さよならお父さん

自分で手間をかければ、出来合いのものを買うより安くつく。

どんな分野でもあることだし、需要があるからそうなっているのも分かる。

 

でも、それにしても携帯業界はその価格差がちょっとおかしいんじゃないだろうか。

キャッシュバック数万円やら本体無料配布やらの資金源にはなりたくない。

真面目に払うほうがバカを見る業界なんて長く続かないはずだ。

と思ったから、近頃携帯を乗り換えたついでに料金内訳を書いてみる。

 

もともとはガラケー1台。

学生時代からずっと同じ、3大キャリアのうちの一つを契約していた。

最近は月額1000円程度のプランを使用。

メール、通話代も合わせると月2000円前後の支払いだった。

 

子どもが生まれて復職するとき、必要になる気がしてスマホを持とうとした。

でも本当に使うか分からないものに高いお金は払いたくない。

普通にガラケーから機種編すると、バカ高い本体価格に月額量に2年縛りのおまけつき。

これはやってられないと、安くなる方法を探した。

 

結果、本体は白ロム新品で8000円ほど。(安さ重視の機種を選んだ)

SIMはMVNOでデータ通信専用、月1000円ほど。2年縛りなし。

ガラケースマホ、2台合わせて月額3000円をちょっと超す程度。

ガラケーは通話とメール、スマホは主に調べものに使っていた。

 

スマホの便利さも分かり、年代物の本体の重さもそろそろ気にかかり、
このほどやっとスマホを乗り換えることにした。

ついでに2台持ちもやめようと思った。

番号を変えないために、ガラケーから別のMVNO業者へMNPする。

今使っているスマホは回線ともども終了することにした。

 

今度のスマホ本体はSIMフリー機種の新品、3万円ほど。

SIMは通話もできるタイプで月1500円ほど。2年縛りなし。

本体代の支払いでイニシャルコストはかかるものの、
もともと安かった維持費は更にダウンした。

 

スマホ界隈に詳しくない私でもこれだけの差額ができてしまう。

目端の利く人はMNPを使ってキャッシュバックで荒稼ぎするとも聞く。

携帯業界は恐ろしいと思う。