私は散歩をしている。彼らは山に登っている
ある種の人たちのことが不思議でならなかった。
何というのか、万能感、のようなものを持っている。
自分の正義を信じて疑わず、それを他の人に押し付ける権利を持っていると思っている。
往々にして彼らには社会的な地位はなく、しかし上から目線である。
自分の思い込みで組み立てられた「べき論」を、実に堂々と喋る。
ずっと不思議だった。
あなたがたは自分がそんなに正しいと信じているのか?
自分以外は間違っていると思うのか?
限られた自分の経験に依ってだけ考えたことなのに?
それがほんとうに正しいか、誰かと話し合ったことはあるのか?
たとえ正しいとして、それを人に強要していいと思う根拠は何なのか?
今日、ぼんやり考え事をしていて少しだけわかった気がした。
彼らは山に登ろうとしている。
何かの目標を目指してまっしぐらに進んでいて、その目標が正しいことを疑わない。
だからその障害になるようなものは蹴散らしながら進む。
私は独身の頃のように、自分の仕事だけにまっしぐらになれない。
子どもがいる、保育園のお迎えがある、それだけではなくて
何か気持ちが変わってしまったとしか言いようがない。
目の前の仕事だけではなくて、自分が作れるすきま時間を使って何かをやってみたい。
それが積み重なって、いつか思いもよらなかった場所にたどり着けるかもしれない。
そう思いながら、今後のキャリアにうろうろと迷いながら働いている。
散歩というよりはただの迷子かもしれない。
私たちはぜんぜん違う気持ちで違うことをしようとしていて、
だから噛みあわないのだなあと思った。
彼らが絶対の正義なわけではない。
私も間違っていないと思いたい。