IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

やっぱり、みんなやってるトイレカレンダーは超優秀【追記あり】

結論:トイレトレーニングとして
トイレにカレンダーとシールを置いておく方法は、
わが子には絶大な効果があった。予想外の嬉しい効果も。

 

子どもが初めてパンツをはいたのはいつからだろう?

保育園の今のクラスになるより前だった気がする。

ということは、そろそろ丸一年経ってしまうのか。

 

「パンツに挑戦してみようと思うので、持ってきてください」

と担任の先生に言われたのは、クラスの中でも早い方だったようだ。

もうパンツになるのかーと驚くレベルだった私は
当然トイレットトレーニングなどしておらず、のんびり構えていた。

園でパンツを履きはじめれば自然にトイレも覚えるだろう、と楽観してもいた。

 

甘かった。

子どもは一向におむつを卒業できず、夕方園に迎えに行くと
ビニール袋に包まれたパンツとズボンが私を待っていた。

普段ならそのまま洗濯機に放り込めば済む洗濯物を
予洗いして浸けて…というのは、地味ながら凹む作業だった。

 

半年ほど前だろうか。

「クラスの子は半分以上おむつを卒業している」と同級生の親に言われても
特に焦らなかった。

うちの子は生まれた月も遅いから、そんなものだろう、と。

 

園での大部分の時間をパンツで過ごせるようになってからも、
家ではうまくトイレを使えなかった。

「家での習慣づけも大事ですよ」と先生に言われ、
休日パンツで過ごしてみるも、おもらしの連続。

「そろそろトイレに行こうか」

「いかない。だいじょうぶ」からの

「おしっこでちゃったー」には凹んだ。

わが子よりあとに生まれた近所の子がおむつを卒業したと聞き、
さすがにわが子は遅いのではないか、と思うに至った。

 

園ではトイレを使えているというから、排泄の感覚が分かっていないわけではない。

それならと、卓上カレンダーとシールをトイレに設置することにした。

「上手におトイレできたらこれを貼ろうね」と説明すると
シール好きなわが子は途端に張り切った。

(子どもはどうしてあんなにシールが好きなんだろう?)

 

別人かと思うほど、家できちんとトイレに行ってくれるようになった。

やはり直接的なメリットが子どもを動かすのだなあ、と感心する。

 

更に嬉しい追加効果として、数字や日付、曜日を覚えやすくなったようだ。

「きょうはなんにち?」と聞かれて、最初はシールを貼る場所を指で指していたけれど
途中から「3日だよ」などと言うだけにしてみた。

一桁の数字なら「ここだー!」と嬉しそうに探しているし、
二桁でも「11日だよ。1がふたつある日だよ」などと言えば自分で見つけられて得意げにしている。

「お勉強」として数字を教えるより、
こうやって生活の中で覚えてくれる方が何となくありがたい。

 

子ども本人も、シールを貼れて嬉しいし、
カレンダーがシールで埋まっていく達成感があるし、今日の日付を探すのも楽しそうだ。

親からすれば、トイレに嬉々として行ってくれるだけでも御の字だし、
数字も覚えてくれて、お金も大してかからない。
こんなにありがたいことはないと思う。
(うちはもらいものの卓上カレンダーとシールを使ったので0円だった)

 

追記:もらいものの可愛くないシールを使い切ったので、100均で可愛いシールを買った。

子どもは更に張り切ってシールを貼っている。

そういえばシールを始めてからおもらしはゼロになった気がする。

女性の活躍という言葉を見ると複雑な気持ちになる

女性が少ない業界であることは就職前から知っていた。

新卒で入社した会社は、新卒10人のうち女性が2名だった。その時点で20%。

 

先輩たちを見ても、女性は結婚か出産で殆どが辞めていく。

子どもがいる女性社員は一人だけだった。

会社は100名弱だったから、その女性社員は1%の存在ということになる。

 

就職したての20代のころ、「子どもがいる女性社員」は別世界の住人のようだった。

なぜ働いているのかなど考えたこともなかったし
子どもがいるからと遠慮もしない代わりに、特別扱いもしなかったように思う。

 

自分が結婚し、妊娠が分かり、それでも仕事を続けたいと思った時から
「たぶん大丈夫だろう」と思えた時などなかった気がする。

ずっと不安で、ずっと居場所がないように思っていた。

今は少し慣れて余裕もあるけれど、この先ずっと続けられる保証があるわけではない。

数年後には小1の壁が控えているし、
その先にもきっといろいろなことが起きるのだろう。

 

最近、女性の活躍とか女性の活用といったことが叫ばれ始め、
上司や周囲からそのような声掛けをされることも増えた。

違和感しかない。

「ぜひ後輩女性社員の見本となって」などと言われても、私と同じ生活を
後輩にさせたいとは少しも思えなくて困惑する。

私はいま結果的に幸せだけど、万人にとっての幸せの形がこうだとはとても思えない。

女性の活躍とは一体何なのだろう。

そう言ってくる方々(例外なく男性)は、「男性の活躍」と言われたら嬉しいのだろうか。

 

保育園に入れるか不安で、区営の駐輪場も抽選で、いつもいろいろなことが不安定で、
そうやって過ごしてきた時間を振り返るととても複雑な気持ちになる。

お前が同じ立場になってみろと叫びたくなる時もある。

でもたぶん善意で言っているのだと思えば泣きたくなる。

 

ウーマンリブとかそういう話をしたいわけじゃない。

私がただ普通に働いて子どももいて、特に注目されることもなく働ける世の中は来ないのか。

サラリーマンがいなくて、みんなが自営か農業をやっていた時代が理想郷だったのだろうか。

よく分からない。

仕事は好きだし、働く以上は頑張るし、評価されたいと思う。

でもそこにくっついてくる「子どもがいるのに頑張っている」という視線は
結局のところガラスの天井なんじゃないかと思えてならない。

バリキャリにもゆるキャリにもなれない半端さを思う。

日常タイムテーブル~2016年1月現在

ふと1年前を振り返ってみた。

 

子は日々成長しているはずなのに、読み返すと、
驚くほど今も変わらない生活をしている。

ちょっと職場が近くなり、子どもの語彙が増えたくらいか。

 

AM6:00

私と夫が起きる時間は遅くなった(堕落した)。

朝シャワーが寒い季節なので夜風呂にシフトしたのもある。

 

AM6:10

ここまでに子が起きなければ起こす。ほぼ起きていない。

朝食はパン、卵、+αと決めてしまえば楽だ。

寒い季節は前日の夜にスープを作っておくと、朝から幸せな気分になれる。

ベーコンといろんな野菜を入れたコンソメスープとか。

 

AM7:20~30

夜風呂にシフトしたおかげで、家を出る時間は早くなった。

子どもがあまりゴネなくなったからかもしれない。

しかしひどくゴネた時には7:50くらいになることもあって、朝からぐったりする。

 

AM7:40~50

子どもを保育園に連れて行くのはまた私に交代した。職場が近くなったからだ。

職場はしばしば変わり、それで生活の難易度もだいぶ変わる。今は楽だ。

園に連れて行き、引き出しに着替えをセットし、部屋に入っていく子を見送る。

大抵はスムーズに行ってくれるが、半年に1回くらいは大泣きされることもある。

 

日中は仕事。

職場が近くなったぶん、忙しい時には30分くらい残業もできるようになった。

残業しない時は早々に帰り、地元駅で店をぶらっと歩く。

自分の服を見る機会はここくらいしかない。

 

PM18:30

園にお迎えに行く。

以前は毎日のように「かえらない」とゴネられて辛かったが、最近はそこそこスムーズになった。

ただし友達への好意が芽生えたらしく、偶然友達と帰る時間が重なると
「いっしょにかえる」「○○ちゃんをまつ」と居座ることもある。

早く帰りたい…寒い…お腹すいた…やりたいことがあるのに…と思うのは去年と変わらない。

 

PM7:15

帰宅してすぐお風呂を沸かし、食器を洗い(朝洗わなくなった)、
作りおきの子どものおかずをレンチンする。

少しは待てるようになったので、野菜炒めくらいなら作ることもできる。

食事をとり、布団を敷き、お風呂が沸くのを待ち、一緒に入る。

(あらかじめタイマーをセットしておけばいいと気づいたのはつい先週だった)

最近は昼間パンツで過ごしても漏らすことはだいぶ減り、
パンツの予洗い&漬け置きの手間が減った。ありがたい。

 

PM8:15

お風呂から上がり、服を着て髪を乾かす。

私が乾かしている間に子どもは絵本をえらび、布団に寝転んで待っている。

 

PM8:45

絵本は毎日必ず3冊読む。選ぶのは子どもだ。

薄くて字が少ない本を選んでくれるとほっとしながらも、ちょっとひどいかなと思う。

ここくらいしか二人でゆっくりすることはないのに、
その少しの手間も惜しく感じるなんて、私は一体何なのだろう。

読み終わったら寝る、と習慣づいてくれたおかげで、
眠くなくてもいちおう眠ろうとはしてくれているようだ。

しかしいつまでもふざけて寝ようとしない時もある。

そういう時、寝たふりをしているうちに自分が寝てしまうこともよくある。

寝たらほぼ、朝まで起きない。

 

PM9:15

寝静まってから布団を抜ける。

自分の食事がまだなら食べ、夫から帰ると連絡があれば食事を作る。

洗濯機を回し、かるく部屋を片付け、本を読んだりする。

持ち帰った仕事をすることもある。

 

PM11:00~2:00

寝る。

本を読むうち眠くなって寝てしまうこともあれば、
変なスイッチが入って深夜まで子どもの服を作ったりすることもある。

 

今は職場が比較的近いから楽になった。

とはいえ、近いと言っても、徒歩と電車で40分ほど。

保育園で話していると、1駅や2駅隣が職場、という人も多い。

もっと近ければ余裕もできて、子どもにイライラすることもなくなるかもしれない。

 

否定しあったって仕方ない

たとえばベビーカーVS抱っことか、母乳VSミルクとか、専業VS兼業とか。

それぞれに特徴があってメリデメがあるようなものを比べて
どちらかを否定するのは意味がないと思う。

自分にとってどちらかが良いとしても、他の人にとってはもう一方が良いこともある。

ほんとうは違うやり方をしたくても、できない事情があるときもある。

でもなぜか育児関係は信仰みたいなものがあって、対立や論争が起きやすいような気がする。

以前もそんなエントリを書いていた。

espam.hateblo.jp

 

また最近見てしまったのは、小さな子を持ち働く人の間での、小さな否定だった。

実家のそばに住み、子どもをしばしば預け残業や飲み会もこなす人が
「うちはちゃんと計画的に実家のそばに住んでいるんだから」と言った。

きちんと計画を立てるのは素晴らしい、それを実行することも。

でもそれは誰にでもできることではない、ということを
その人はあまり考えていないように見えた。

 

その人から見たら、子どもを理由に飲み会を断る私は
計画的ではない人なのかもしれない。

そう言われたことはないけれど、言われても否定できない。

 

他の場所では、「親に預けっぱなしで好きなことをして」というような批判も聞く。

夫が激務で頼れず、親も近くにおらず、専業でほぼ一人で子どもを見ている人なら
親に気軽に頼れることはうらやましくもあり、甘えているようにも見えるかもしれない。

 

それぞれ違う家庭環境や事情があり、母親の性格や適性も違っていて、
羨んでも否定してもしょうがない。

本気で変えたいと思うなら、故郷にUターン転職するとか、やりようはあるのかもしれない。

でもそれもしないなら、今の環境を少しでも良くしていくしかないし、
「自分が持っていない何か」を持っている人を攻撃したって仕方ないのだ。

働く私はこれからも、誰かからの批判を受けるのかもしれない。

子どもを置いて働くなんて、とか。

会社に迷惑を掛けるなら辞めてしまえ、とか。

それでも浴びせられた批判を、相手への批判で返すことだけはするまいと思った。

キラキラ

早や年の瀬、クリスマスのイルミネーションをあちこちで見るようになった。

大人になり、行動範囲は広がって、子どものころより多くの
イルミネーションや飾りつけを見ているはずだ。

でも、子どものころのクリスマスのほうがずっと、キラキラしていた気がする。

なぜだろう。

 

見慣れたから、もうクリスマスはキラキラしないのだろうか。

思い返せばあれは、手に入らないもの、非日常がキラキラして見えたのだと思う。

クリスマスのごちそうは好きな時に食べられるわけではないし、
プレゼントは大人にお願いして買ってもらうしかない。

欲しくても買ってもらえないおもちゃだってたくさんあった。

何しろあのころは欲しいものがたくさんたくさんあった。

 

大人になってしまえば、何もない日にチキンやケーキを食べることもできるし、
欲しいものは自分のお金で買える。

そして、いつでも買えると思うと、不思議と欲しいものはなくなってしまった。

 

最近また、世の中がキラキラしていると思える時がある。

子どもが生まれて自分の時間がなくなり、今までの当たり前が当たり前ではなくなったからだ。

手に入らないものはキラキラして見える。

不自由と自由を行ったり来たりするのは面白い、と思った。

いつの間にかの自信

子どもが生まれる前、妊娠が分かってからずっと、不安で仕方なかった。

妊娠出産という未知の体験、責任の重さ、
生活が激変してこれからどうなるんだろうという不安。

いざ子どもが生まれてからは一層不安だった。

新生児はふにゃふにゃして弱々しくて、目を離したら死んでしまうかもしれないと思っていた。

 

仕事に戻るまでは、果たして戻れるだろうかという不安。

戻ってからは、受け入れてくれる客先があるのかという不安、続けられるのかという不安。

毎日定時で帰る私なんか、誰も頼りにしないだろうというヒネた感情。

生活サイクルが安定してきたかと思えば、自分の異動やら子の体調不良やら何やらで
またサイクルが崩れ、一体いつルーチン化できるのだろうと思っていた。

 

こんな状態から、2人目、3人目を生んでいるなんて考えられない。

一体みんなどうやってその決断をするのだろうと思っていた。

 

「なんとなく大丈夫って思える時が来るらしいよ」と言う友達に
「そんな日が来るのかな」と返していた。

 

でも、である。

気づけばそれなりにサイクルが安定し、仕事もどうにかなるだろうと思え、
子どもが体調を崩してもそれほど慌てなくなった。

いつしか気持ちにゆとりができていることに気づいた。

思えばもうすぐ子が生まれて3年、復職してから2年以上が経っている。

 

寝ていなければならず、家事もままならなかった産後から、
だんだん洗濯や料理ができるようになり、
家事を効率よくこなせるようになり、
脱マンネリのために定期的に新レシピに挑戦するゆとりができた。

なんとか時間を捻出して、自分の好きなことにも出かけられるようになった。

気づけばあっという間だったような、長いような。

 

とはいえまだまだ子は小さく、仕事だって盤石ではない。

独身時代の自由に比べたら、今だってまだ何もできないに等しい。

それでも産前産後の不安と焦燥からはすっかり遠ざかったと思う。

 

こういうとき、2人目のことを考えるのかもしれない、と思った。

「なんとなく大丈夫」なんて、根拠のなさすぎる言葉だ。

幸い生まれてから今日まで大病することなく来たけれど、今後の保証は何もない。

子どものおしゃべりが上達するにつれて楽になった面もある分、
育ったが故の難しさもでてきているように、
今後も新しい悩みの種が登場するのだろう。

 

それでも「まあ何とかなるんじゃないかな」と思えるここまで来れて
ほんとうによかった。

あの頃にもどって、じりじりしている自分に言ってあげたい。

「3年後はこんなに楽になるよ」「仕事だって楽しくなるよ」と。

身近なOps

DevOpsという言葉がある。

サービスやシステムの開発(Dev)と保守(Ops)が協力して
より良いサービスを作っていこう、というようなものだ。

今まで私は主に開発の仕事をやってきた。

保守チームにいたことはあったものの、
保守と言いながらエンハンスや二次開発と呼ばれるものをやっていて、
気持ちも業務も開発チームと変わらなかった。

 

最近になって、本格的な(というのも変だが)保守チームに在籍することが増えた。

小さい子どもがいる、というと、比較的落ち着いている(ことが多い)保守の仕事が振られるのだろう。

開発チームは遅延でしばしば全員が激務になるが、
保守チームは障害が起きても全員が激務になるわけではないからかもしれない。

 

追加開発やエンハンスを行わない、純粋な保守チームは、平坦だ。

開発チームのようなゴールがない。

だから、サービスインのような解放感や喜びもないし、褒められることもない。

何事も起きず、いつもの定常業務をこなせれば幸せ。

もっとスムーズに簡単にサイクルを回すにはどうしたらいいんだろう?

 

何かに似ていると思ったら、主婦業だった。

 

粛々と日々の家事をやり、家を整え、食事を作り、選択をする。

イレギュラーな事態(たとえば夫が激務で帰ってこないとか、子どもが熱を出すとか)
があれば臨戦態勢を敷き、日常に復帰できるように尽くす。

何事も起きず、いつもの生活ができることが幸せ。

なるべく楽に居心地よく過ごせるようにするにはどうしたらいいんだろう?

仕事のように考えると、自分のやり方で改善できるところはまだまだありそうだ。

 

ずっとDev側にいた私は、自分の仕事はDevだと思い込んでいた。

でも今は仕事も生活もOpsだ。

面白い。