「子どもを抱っこしていて偉いよね」
学生時代の友人たちと集まった。
結婚している人、いない人。
子どもがいる人、いない人。
兼業主婦、専業主婦、親と同居などさまざまだ。
久し振りに会えてみんな嬉しそうで、それぞれの近況を報告し合った。
賑やかな場の中で、一人の友人が私のことを
「いつも子どもを抱っこしていて偉いよね」
と言った。
一瞬、しんとなった(気がした)。
その友人とは家が近く、休日に何度か偶然会ったことがある。
思い返せば確かに私はいつも子を抱っこしていたと思う。
それは私の住む環境によるところもあるし、性格によるところもある。
私の家は住宅街の中にあり、道は狭く入り組んでいて小さい段差が多い。
見通しがあまり良くない狭い道を、自転車や子どもやお年寄りが通る。
抜け道なのか、車も意外によく通る。
近所のスーパーは地域密着型の小さな店で、狭い通路の両脇に商品が所狭しと並んでいる。
こういう環境で、ベビーカーメインで移動するのはなかなか難しい。
上記に加えて、出産前からネット上のベビーカー論争を見ていた身としては
ベビーカーを使うことになんとなく気後れしてしまう部分がある。
そういえば私はマタニティマークも着けずじまいだった。
それらを使ってトラブルに巻き込まれたり誰かに不快に思われるくらいなら
使わないほうが自分が平和でいられる、という選択をした。
主に上記の理由から、私は抱っこで移動することが多い。
とはいえ、ベビーカーを完全に避けて通ることは難しい。
自分の体調が悪かったり、腰が痛かったり、猛暑のなか出かけねばならなかったり、
長時間になることが分かっていたらベビーカーを使わざるを得ない。
別に怠けているわけではないし、「子どもがいるんだから当然、周囲が道を譲って」と思っているわけでもない。
小さい子どもがいる人なら分かってくれることと思う。
その友人はこうも言っていた。
「うちの近所って道が狭いんだよね」
「私、ベビーカーに何度も足を轢かれたことがあるよ」
別に怒ったり恨みがましく言っていたわけではない。
笑いながらだったし、私を褒めるために言ってくれたのだと思う。
ベビーカーというものは、当事者以外にとっては道幅を占領する邪魔者であり、迷惑をかけられることもある存在であり、
更に言うなら「抱っこは偉い」を裏返すと「ベビーカーは偉くない」ということなのだろう。
当然だと思う。私も子どもが生まれるまではそう思っていた。
私は何かを取り繕おうと、ごにょごにょと
「抱っこだと安心感があるから…」
というようなことを言った。
(今思えば卑怯だったかもしれない。
私もベビーカー使うよーとか、夏は抱っこじゃ無理だよーとかいうことを
笑いながら言えばよかったのかもしれない)
他の、2人の子どもをもつ友達が静かに言った。
「そうだよね、抱っこだと安心するよね」
そしてこの話は自然に収束した。
友人だからこそ、きちんと言えばよかったのかもしれないし
いつかその友人に子どもが生まれたら分かるかもしれないし、分からないかもしれないし、
どんな対応がよかったのかはよくわからない。
ただ、ネット上で見るような悪意ではなくて、ごく自然な発言の中から
ベビーカーがどう思われているかを改めて知ることができて良かったと思う。
そして場を荒立てず、静かに収束させた友達のことばを思い返し、
しみじみと凄いなあ…と思っている。
子どもが2人いたら、全て抱っこで生活することはほぼ無理だろう。
でもその苦労を言うこともなく、反論することもなく、共感で場を収めた。
陳腐な言い方になって嫌だけれど「包容力」のような言葉が浮かび、私は静かに感動した。
私もああいう対応ができるようになりたい。