IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

テクニック礼賛文化が嫌いなことと、他人の思想を聞くのがすきなこと

久し振りに人の話を聞いて感動した。

 

 

近頃はウェブのどこを見ても

 

「○○するときに知らなきゃ損する×個の方法!」

「たったx個!これだけで○○できちゃう!」

「まだやってないの?○○するならこれで決まり!」

 

というようなテクニックが溢れている。

人目を引くためだけに過激につけられた、

ちっともコンテンツとつりあっていないタイトルもあったりする。

 

それは論外としても、本当に(本当は)有用なテクニックだとしても、
私はテクニックには懐疑的だ。

更に言うと、人から教わるテクニックに懐疑的だ。

自分で編み出したテクニックが至上と信じて疑わない。

 

心酔する先輩から盗んだテクニックに比べたら
どうでもいい人に聞かされたテクニックは劣るし
ウェブで斜め読みしたテクニックは更に劣る、と思っている。

 

これらはテクニック自体の質の話ではない。

それを自分がどれだけ活かせるか、という部分の話だ。

栄養の吸収率のようなものが、勉強にもあると思う。

 

自分で試行錯誤して編み出したテクニックは、既に自分の一部になっている。

テクニックが必要になった背景(何故それが必要なのか)も、
何を目指しているか(どうなりたいか)も理解しているからだ。

 

教わったテクニックではどうだろう。

テクニックは畢竟「こうやれば効率よく(あるいは上手に)できますよ」

というだけのものでしかなく、
何故、と、どこへ、がない。

 

自分は何に困っているのか、どうなりたいのかを考えないと
自分のニーズを満たすテクニックには出会えないはずだが、
「知らなきゃ損する!」系のテクニックページを開く人の何人が
それを考えながら見ているだろう。

 

簡単そう、何か面白そう、かっこよさそう。

そういう動機で読んだテクニックは身につかないだろうな、と思っている。

 

 

前置きが長くなった。

 

だから、自分が仕事で人に何かを教えるときや
ツールやシステムの説明をするとき
何のためにそうするのか、目的は何なのか、を必ず話すようにしている。

 

だが、いろいろな現場で仕事をしてきて思うのは、
細かいことは知らなくていい(または忙しくて説明する暇がない)から
ソースを読んで言われたとおりに改修してくれたらいいんだ、
というような扱いをしたがる人が多いことだ。

 

目的は知らなくていい、目先のことだけやれ、と言われて
喜んでやる人はあまりいないと思う。

 

 

冒頭の話に戻る。

今日、ある技術の勉強会に参加した。

ごく少人数で行われるもので、スピーカーは熱意ある若手だった。

技術の説明をしてくれる場だと思っていた。

 

自分はこういう考え方が好きで、それを理想と思う。

でもそのようにやるには煩雑でなかなか実現が難しい。

だからその助けとなるようなツールとしてこれを選定した。

他のツールに比べるとここが優れている。

今やっている方法の他に、こんなこともできる。

今後はこういう面を拡張していきたい。

ぜひみんなにも使ってほしい。

 

というような話が聞けた。

期待以上で、嬉しかった。

 

誰かに質問されるより前に自ら
自分の思想や理想、目的をきちんと話せる若手がいることに感動した。

(たぶん世間にはいっぱいいる。私が出会っていなかっただけだ)

 

このことだけで、今日一日を気持ちよく過ごせた。

人の熱意は心地よくやる気を引き出してくれる。ありがたい。

 

 

思想は人それぞれだ。自分と違っていてもいい。

組織や上司の決定が、必ずしも自分の希望通りでなくてもいい。

いろいろな事情があるだろうから。

 

でも、理由や思想の説明もなしに
決定済み事項だけを放り投げられるのだけは耐えられない。

 

そこに疑問を抱かない人が、「事実のみ放り出し」をやるのだろうか。

それとも、自分が誰かに説明する立場になったとたん
教えてやるものかと情報を抱え込みたくなるのだろうか。謎だ。

ここは考えると長くなるから、後日別エントリに書ければと思う。