IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

もうそろそろ争いをやめよう :ベビーカー論争

このブログでも何度か、私見を書こうとしてやめた。

うまくまとまらない気がした。

 

でもつい先日、ものすごく腹立たしい記事を某所で読んでしまい、
やっとこの件に関して自分が思っていることが分かった。

だから書いておこうと思う。たぶん長くなる。

腹立たしい記事へのリンクはないしタイトルも書かない。

(炎上商法かもしれないものに僅かでも燃料をあげてはいけない)

 

整理する。

ここでいうベビーカー論争とは、
電車(主に満員電車)にベビーカーを載せることの是非についての議論を指す。

議論と呼べないレベルのものも含む。

 

私は子どもを育てる親であり、子どもはまだベビーカーに乗るような年齢である。

ベビーカーを満員電車に乗せたことはない。空いた電車に乗せたことはある。

また、満員電車で通勤する会社員でもある。

だからどちらの気持ちも想像しやすい立場だと思う。

ベビーカーや電車や育児の専門家ではない。

 この論争については、ブログやニュースサイト、それらに対するコメントなどを読んだ程度だ。

「かじった程度」と言えると思う。

 

ベビーカー反対派の主な意見は

 (A-1) 場所を取るから満員電車に乗せるな。

 (A-2) やむを得ず乗せるなら畳め。

 (B)  あんな危険な場所に子どもを乗せるなど、親として間違っている。

 (C-1) 不要不急の用事なら時間をずらせ。または並んで始発に乗れ。

 (C-2) それができないならタクシーで行け。

あたりかと思う。

 

 

対する容認派は、

 (A-1) それを言うなら車いすはどうなのか。太った人は?

 (A-2) お母さん一人で子どもを抱いたまま畳むのは難しいし危険。

 (B) 好きで乗せているわけない。通院や保育園など、事情があるからだ。

 (C-1) いつもそれができるわけではない。子連れが長時間並ぶのは難しい。

 (C-2) それができるとは限らない(経済的な理由など)。なんでそこまでしなきゃいけないの?

というような反論をしていたり、

 (X) こんなことを言っている先進国は日本だけ。外国はみんな子供にやさしい。

 (Y) これじゃ少子化も進むわけだ。

 (Z) 将来の年金を支えてくれるのは子どもたちなのに。

と嘆いていたりする。

 

私は何かすっきりしない気持ちになりながら、これらのやりとりを眺めていた。

子どもがいる身としては、一方的に子育て世帯が邪魔扱いされるのは悲しい。

しかし「子育ては正義!他の人は我慢して当然!」状態になるのはもっといやだ。

そういう言葉は周囲の人に言ってもらうものであって、自分で言ったらただの痛い人だ。

(蛇足だが、子育て正義派の人はよく上記の(Z)を言っている気がする)

 

戦争はいつもそうなのかもしれないけれど、どちらも自分を「正義だ」と思っていて
でも何かが違う…と思えてならなかった。

邪魔だからどけ、ではただのジャイアンである。

子育ては正義、周囲が寛容になれ!とも思えない。

「ご理解とご協力」「マナー」「ゆずりあい」「配慮」とごまかされるのも違う。

何が違うのか、と思いながらも
ベビーカー論争の記事を見つけるとクリックしてしまう日々を過ごしていた。

読んではひとり、考える。

 

「ベビーカー邪魔。あれ畳めば大人が3~4人は乗れるのに」

3~4人は大袈裟かもしれないけど、確実に2人は乗れるだろうな…

 

「それなら太った人はいいの?足広げて座る人は?臭いひとは?」

確かに、重量で言えば、50キロの女子と100キロの男子は倍違う。

横幅だって1.5倍くらいは違いそう。女子の隣に座ると座席が広い。

足広げて座る人、やめてほしいよね…

 

「働いてなさそうな母親があの時間に電車乗る必要なんかあるのか?」

「健診とか病院受診とか、大事な用事だってある」

大きな病院で見てもらうような病気になると、お母さんたちは大変だろうな…

そういえば前いた職場のそばには大きな病院があって、赤ちゃん連れも多かったな…

核家族で専業主婦だったら、自分の具合が悪いときも赤ちゃんを連れていくしかないんだろうな…

 

で、ふと気づいた。

なんで反対派の彼らは、こんなに裁こうとしてるんだろうか、と。

 

車いすはいいけどベビーカーはだめ。

通勤はいいけど遊びに行くのはだめ。

 

心情的には分からなくはない。

車いすの人がいれば、病気やけがで大変なんだなと想像がつく。

でもベビーカーを見たら

「母親が楽するための道具」「昔の母親はみんなおんぶしてた(らしい)のに」
なんて思っている人は一定数いるのだろう。

 

母親が楽したいために、乗れたはずの他の大人が乗れなくなる。けしからん!

みんな大変な思いをして会社に行くのに、勤めている風でもない母親が
ベビーカーでのんきにお出かけか。けしからん!

 

違う、違うんだ、と思った。

 

ルールで決まってない以上、何が良くて何がだめかは個人の感覚でしかない。

だってJRや地下鉄は「通勤のお客様に優先乗車していただきます」とは言っていないのだから。

個人的にどうムカつこうが、「俺は仕事に行くのに、遊びに行くあいつらが邪魔する」
というのは単なる八つ当たりにすぎない。

 

JRには「折りたたみ式自転車においては折りたたんで専用の袋に収納したもの」
なら持ち込んでよい、という規定がある。

ベビーカーを畳むことについては規定がない。

だから「畳めばもっと人が乗れるんだから畳め」はマイルールの押し付けにすぎない。

 

それって、「そういうゲームデザインだから」というのと同じことだと思う。

 

文句があるなら、そういうルールにしているJRやらに言うべきなのに、
(ウェブ上であれ)ベビーカー親に向けているのがおかしい。

「乗ってる奴がひとりが降りれば代わりに自分が乗れるのに」では誰からも相手にされないが、
「ベビーカーを畳めばいいのに配慮が足りない」「子どもを危険にさらしてけしからん」
なら意見を言った気になれるからだろうか。

 

ベビーカー反対派でベビーカー親を攻撃しているみなさん。

言う相手が違っているので、どうかこれからは正しい相手に意見陳情してほしい。

ベビーカー親のみなさんが心を痛めているのは見るにしのびない。

JRなりメトロなりに、「ベビーカー専用車を作れ」でも「人間専用車を作れ」でも
「重量課金制にしろ」でも「占有スペースに対して料金を徴収しろ」でも
お好きな意見を言ったらいいと思う。

国に「子育て世帯の通勤時間帯の外出用タクシー代を支給しろ」でも
自分の勤める会社に「グリーン車の定期代を支給してくれ」でも
いっそ自転車通勤に切り替えるでもいい。

乗らせたくないのか、せめてお金を払わせたいのか。

誰になにを陳述するかで、ベビーカー親をどうさせたいのかが見えておもしろいと思う。

 

そして容認派のみなさん。

「通院だから、保育園だから仕方ない」と事情を話すのは、
それに該当しないときは仕方なくない、悪い!
と言っているのと同じことになってしまう。

だから、反対派の人を必要以上に説得しようとしないでくれたらいいなと思う。

許す許さないを決めるのは私たちではない。

 

それから、子育ての大事さ、大変さ、諸外国の優しさを訴えるのは
あまり大っぴらにしないほうがいいと思う。

そういうものがまた別の火種になっている気がしてならないからだ。

 

 

ベビーカー論争。

いつかすべての論点を解決するような次世代ベビーカーが生まれて
あの論争は電○や博○堂の仕込みだったんだね、なんて言われる日が来たら…こわい。