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IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

自己評価が低いのは如何ともしがたい

考えたこと

いつからだろう、気づけば自己評価が低い。

別にいまの自分は恥ずかしい存在ではない、とは思う。(思いたい)

人に言える仕事をし、税金と年金を納めて暮らしている。投票にも行く。犯罪歴はない。

夫と子どもがいる、ごくふつうの暮らしだ。

 

でも気づけば、「自分へのご褒美」みたいなものが苦手だ。

今日は贅沢していいもの食べちゃうか、と思ってデパ地下を歩いても何も買えず
結局コンビニおにぎりをかじっていたりする。

お金がないわけではない。

でも自分のためには使う気にならない。

 

仕事に行くために服は買うし、化粧もするし、美容室にも行くのだけれど
そういう「仕事のため」というような大義がないと、どうにもお金を使えない私がいる。

ひとにプレゼントをあげる、お祝いを渡す、というようなことには抵抗がない。

なんでだろうか、と考えたら、自己評価が低いのが原因なのだ。

 

自己評価は低いのにはいくつか理由があると思う。

たとえば、子どものころ家が貧乏で、他の家に当たり前にあるものがなかった。

みんなが当たり前のように行く塾に行けなかった。

貧乏の理由は親の浪費で、「親は私たち子どもより自分のことが大事なんだな」と思い込まされてきた。

 

親は深い意味で言ったのではないかもしれないが、
「お前は玉の輿には乗れない顔だ」などと言うこともあった。

そうか、私はブサイクなんだなと思った。

(いま冷静に見れば、私はブサイクではないと思う。平凡な顔だ)

 

親からはいろいろな否定をされた。

悪いことをしたら叱られるのは当然なのだが、悪くないことでもよく否定された。

本を読んでいると、先生や友達は褒めてくれるのに、親は「本ばかり読むな」と言った。

お年玉は使わずに貯金しろと言われ、その通りにすると「たまには使ってもいいのに」と言われる。

それならと一念発起して欲しかった画材を買うと「それはいくらだ」と根掘り葉掘り聞かれる。

好きで着ていた服はよく否定された。

何をしたら褒めてもらえたのだろう。よく思い出せない。

 

一つ一つは小さなことだった。

今の年齢になれば、同じことを言われたってくだらないと思えるはずだ。

でも子供の頃からの積み重ねが、どうしても自己評価を低くさせる。

いつもいつも「自分に価値はない」などと思っているわけではないけれど、
ふと気づけば無意識に、そこに帰っていってしまう。

 

子どもの頃に考えた。

いつか彼氏ができたら変わるだろうか。

結婚するほど私を好きになってくれる人がいたら変わるだろうか。

たとえば仕事で認められたら変わるだろうか。

 

少しはましになったのかもしれない。

でもやはり消え去りはしない。

子どもの頃に認めてもらえなかった(と感じた)ことは、後からは消せないのかもしれない。

それとも、その頃に自己肯定の核を育てられないと手遅れということか。

 

自分の子どもはどうかこうならないでほしい、と思う。

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