深く考えずに「ロールモデルがいない」と言ってしまう件
若い頃からなんとなく「この業界の女性は大部分がどこかへ行ってしまう」ということを感じていた。
なにしろ女性の先輩が少ない。
絶対数が少ないというのもあるけれど、女性の先輩がとても少ない。
年代問わず、既婚者の女性は少ない。
子どもがいる女性は更に少ない。
大企業に行けばまた違うのかもしれないが、私が新卒で入った会社はそうだった。
自分が子どもを持ってIT職に戻ったとき、改めてそれを思った。
私は誰を目指せばいいのだろうか、と。
別にモデルが同性である必要もなくて、それなら素晴らしい先輩は社内外にたくさんいる。
でも子どもの保育園に走っていかなければならない私が、家に奥さんがいる男性の先輩を真似るのは無理がある。
私のように定時ダッシュで帰り、ときに突然休んでもなお必要とされる存在なんて居るのか?
居ない。世間には居るのかもしれないけれど、私の周囲には居ない。
必要にされるとか頼りにされるとか高望みせず、仕事を続けることだけを目指そうと、最初は思った。
子どもが大きくなったらもっと仕事にシフトしていくこともできるんだし、
今は仕事に全力を注げなくても仕方ないんだし、
いま辞めないで続けていればいつかは、と自分に言い聞かせた。
でも、本当にそうなのだろうか。
皆さんに迷惑をかけて申し訳ないと小さくなって、愛想を振りまいて許してもらって、
そんなことを続けていたら本当にいつか仕事人として報われるのか?
どうもそう思えなかった。
「責任の軽い仕事だけしてきました」っていう50代、その先に何があるんだろう。
「ロールモデルがいない」なんて、「大人は誰も分かってくれない」と同じくらい気恥ずかしい言葉だけれど
そんな言葉をぼやいてしまうくらい、ちょっと前までの私は弱っていた。
だって頑張って仕事に戻っても報われなくて私がどんよりしていたら、
何のために夫や子どもに負担をかけているのか分からない。
そうぼやいたら「ロールモデルなんていなくてもいい」と言った人がいた。
男性だった。
奥さんがパートしていて、子どもの送り迎えと呼び出しコールはほぼ全て奥さんが受けているという。
そこで「あなたとわたしは違う」と思ってしまった私が小さいのか、
その人は全部わかった上でそれでも「いなくていい」と言ったのか、もうよくわからない。
でも時間が経って思ってみると、「ロールモデルがいない」なんて泣き言を言うメンタルでは、
たとえそういう人がいても
「私はあの人のように優秀じゃない」「あんな風にはなれない」
とか言うんだろうな、と思った。
言い訳はよくない。「○○がないからできない」は言い訳だ。
思い返せばこんなエントリも書いていた。
手を変え品を変え、私は言い訳を続けていたのかもしれない。