子どもには何も望まない(望めない)
たとえば、仕事だったら目標を立て、努力して達成しようとする。
将来なりたい姿のために今何をすべきかを考えることができる。
(それを実践できるかはまた別の話だけれど)
でも子どもについてはどうなんだろうか?と、ふと考えた。
将来どうなってほしい、だから今のうちにこれをやる、というようなことを、一切していない。
たとえば小さいうちから英語に触れさせるとか、音楽を習わせるとか、
そういうのが一切ない。
今はまだ子どもが小さいからかもしれないが、もう少し育ってからも変わらない気もする。
私の母親は、自分が産むなら乱暴な男の子は嫌だと思っていて、望み通り女の子が生まれて、
考えていたとおり可愛い服を着せてピアノを習わせたのだそうだ。
子どもの頃に何度もそう聞かされた。
たぶんうちの親は、子どもに干渉しすぎな親だった。
そして子どもは自分のものと思うがゆえに、無神経な言動も多かったように思う。
小さい頃に嫌だったことで、今でも覚えていることはたくさんある。
言った本人はとうに忘れているだろう、些細な事がいつまでも忘れられない。
その反動からか、わが子に干渉しすぎることが怖い。
今はまだ服も身の回りのものも私と夫が選ぶけれど
選べるようになったらすぐ本人に判断を委ねたいと思っている。
好みではない服を渡された時のげんなりした気持ちを忘れられないからだ。
子どもが成長して、もし私の好みとは違う服を選ぶようになっても、それを否定したくない。
私が好きで着ている服をいつも否定されて、親と服の話をするのが本当に嫌だったからだ。
進学や就職のことも、趣味やお小遣いの使い道にも、できれば口を出したくない。
モラル的に許されないこと、常識を大きく逸脱することは言わなければならないと思う。
でもそうでなければ子どもの判断に任せたい。
自分で判断することが正しいことなのだと伝えたい。
子どもと自分を同一視するのも、その結果として過干渉になるのも
子どもへの愛情には違いないと思う。
だとしたら、子どもへの干渉しすぎを恐れてしまう私は何なのだろう。