怒る子ども、おびえる母(そんな日もある)
子どもはだいぶ知恵がついてきた。
行動範囲もできることもぐんと広がった。
いろんなことを覚えていて、「この後はこうなるのだろう」という展開が読めているようだ。
そのぶん、その予想通りにならなかったときの怒りも大きくなっているように思う。
少し前、毎日のように夜ごはんの時に子どもが泣き叫んでいた時期があった。
きっかけはよく分からない。
白米を出したことだったり(パンが食べたかったのか?)、
落としたごはんつぶを拾った時だったり(自分で拾いたかったのか?)、
おかずのおかわりを出した時だったり(他のものがよかったのか?)、
こちらからすると些細と思えるポイントでいきなり怒り、泣きわめく。
子どもの泣き怒りは本気だし、容赦がない。
大人社会で暮らしていると、あんなふうに誰かに大きな声を出され、至近距離でわめかれ、
かといって距離をあけたらもっと怒られるなどということはほぼない。
それが毎日続いて、私はだいぶ憂鬱だった。
会社から保育園に向かうとき、「今日も怒られるのだろうか…」と考える。
食事を出すとき、「今日のごはんは怒られるだろうか…」と考える。
まるでパワハラ上司の下でおびえる若手みたいだ。
言うまでもなく子どもはかわいい。
理不尽に思えるキレかたをされても子どもを嫌いになったりはしないのだけど
いくら子どもが好きでも、子どもに泣き叫ばれる時間は愛せない。
小さな子どものことだ、わが子のことだ、と思ってみても、怒りをぶつけられるとHPが削られる気がした。
それが毎日。
つい夫にぼやいた。
「毎日怒られてつらい。人から感情をぶつけられることに慣れてなくて、疲れる」
夫は苦笑し、大人と子どもは違うというようなことを言った。
辛抱強い夫なら平気なのかもしれない。
私はあまり平気ではなかった。
日中は仕事に出て、大人と冷静に話せることが救いだったかもしれない。
そんなことがありつつ、いつの間にかそれは軽減され、改善された。
たぶんうまくできたことを褒めたり、一緒に楽しいことをしたり、地道な何かが事態を変えたのだろう。
それとも単に子どもが成長しただけかもしれない。
気づけば私は、保育園に向かいながら、子どもが今日も怒るかどうかを気にしなくなっていた。
さいきん仕事で知り合った女性が、似たことを言っていた。
「毎日泣き叫ばれるから辛い。保育園に迎えに行くのが憂鬱になる」と。
分かる、分かるよ!と思い、どう答えればいいのだろうと考えた。
少しでも楽になってもらうために、何と言えばいいのだろう?
「子どもがいないとわからないこと - IKISG」にも書いたけれど
子持ち同士分かり合える、とか、子どもがいない人には分からない、とかいうのは
基本的に幻想だと思っている。
わかる人にはわかる。
わかる人というのはつまり、わかろうとしてくれる人だ、と思っている。
そう思っているんだけれども、それでもなお
同じ立場だから分かることもあるんだ、と強く思った。
保育園に迎えに行くのが憂鬱だとか、子どもがいつ怒るのかひやひやするとか、
そんな日もあることはたぶん当事者にしかわからない。
そして当事者以外には話しづらい。
深刻な相談ごとではなく、仕事の合間にふと漏らしてくれた言葉。
その人が私に話してくれてよかった。
私もその人の話を聞けてよかった。