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IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

「あなたのための配慮」はあっても「自分のための配慮」はない

考えたこと

配慮というのは相手を思ってするものであって、
「あなたは私に配慮せよ」というものではないと思っている

 

たとえば、忙しい人の判断を仰ぎに行くときは全ての材料を揃えて
YesかNoで答えられる状態にすべきだ、という考え方がある。

たとえば、エレベーターピッチというものがある。

 

これらは話を聞いてもらいたい側の知恵や気遣いであって、
話を聞く側が求めるものではない。

電車の席をお年寄りやけが人に譲るのはあくまでも当人の判断で
「自分は弱者だから譲られて当然」という態度はおかしい、
というのと似ている。

 

 

ある集まりで何かやりたいがアイデアはないか、と聞かれたので
「時間があるならこういうことをやりたい。こんな効果が期待できる」と言ったことがある。

すると駄目だと一刀両断され、理由を尋ねると
「遊んでるように見えるから駄目」というのが答えだった。

 

確かに、知らない人には一見不真面目に見えるような提案ではあった。

だが内容について掘り下げた質問をすることもなく
その人の思い込みで遊びと決めつけ、却下するのはいかがなものか。

 

こういう内容に思えるが、合っているか。

だとするとそれはこの場にはふさわしくないのではないか。

そういう会話があったうえでの却下なら納得がいく。

 

却下なら却下で構わないが、
内容については咎められるようなものではないことを説明した。

すると返ってきた言葉は

「最初からそれを言えばいい。そうしたら許可したかもしれない。
言い方で損をしているよ」

という上から目線なアドバイス。

アドバイスが真摯に相手のことを思って口にされたものか
そうでないものかは声を聞き表情を見れば分かる。

そして

「人によっては負け惜しみとしか聞いてくれない」

とも。

(この場合、言うまでもなく「人によっては」は
「自分はそう思う」という言葉の言い換えである)

 

その人は日頃から
自分が権威的に、横暴に見えることのないように
言葉や態度に注意をしているように見える。

ただ、注意をしているということは、裏返せば
権威を振りかざしたいのだろうなと感じるのは穿ちすぎだろうか。

そしてとてもプライドが高く、自分の間違いを認めたくない。

このときの言葉にそういう部分が表れていると思った。

 

自分の時間は貴重だから、判断するときには全ての材料を揃えて出せ。

自分を納得させるのは相手の役目だ。

後から情報を出してくるな。

そういう思いが透けて見え、会話が一気に面倒に感じられた。

 

その人がそういう言動を続ければ、
その人への提案は望む形で行われるようになるだろう。

そしてそれ以上に、その人に提案することを避ける人が増えるだろう。

あなたはどれだけ偉いのか、と呆れた思いを口に出さないのが大人というものだ。

 

自分が望む流れ以外の会話を遠ざけたいなら、それもよし。

 既に小さな独裁は始まっている。

 

自分への配慮を相手に要求するということは
そういうことだと思う。

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