IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

よくないことの連鎖

ここ数日、些細なことで気持ちが落ちて、いろんなことがうまく回っていない。

 

体調不良もある。

人からの言葉やメールにやる気を削がれている。

仕事でくだらないミスを連発する。

考えまいとしても、気づけば人から言われた不快な言葉のことをずっと考えている。

 

そして、そんな私とシンクロするかのように、子どもも体調を崩し、すこぶる機嫌が悪い。

 

考えまいとしてマインスイーパーに没頭してみたり

「心を無にする」とGoogleで検索してみたり

何でもGoogleに答えが書いてあると思う自分がそもそもダメだ、と反省してみたり。

心の中は自分のことでいっぱいで、ああ親になり切れていないんだなと思う。

 

これではよくない。

好きなものを食べよう、と思ってみても、食べたいものが思い浮かばない。

風邪気味だからビタミンたっぷりのごはんを、と思っても

食べたければ自分で作るしかないという現実。

体調も気持ちも、自分で回復させるしかない。

大人ってたいへんだ。

 

どうにか気持ちを変えたくて、久しぶりに論語を読んでみた。

本当は紙がよかったのだけど、買いに行く暇がなかったからスマホで読んでいる。

 

そして、何度読んでも納得する部分がある。

前とは違ったところに、ああ、と思う。

(もちろん、立場が違いすぎて少しも刺さらない個所もある。そのほうが多いかもしれない)

 

今回心に残ったのは、次のようなところだ。

君子は能なきことを病う

人の己を知らざることを病えず

 とか

人の己を知らざるを病えず

人を知らざるを病う

 というようなセンテンスが、論語には繰り返し出てくる。

 

人の己を 知らざる。

ああこれだ、と思った。

 

なんとか復職して、時短せず親の助けも借りずに働いて

それでも会社のお荷物になるのだけは嫌で

何とか認められたい、価値があると思われたいとあがいた。

家にいて自由になる時間の大部分を会社のために使った。

たぶん少しは認められた。

 

そして、それでも変わらない

「他の社員とは違う、弱い立場のあなたを守ってあげよう」

という視線に、勝手に傷ついた。

 

守ってほしいわけではない。

他の社員と同じように残業はできなくても、その分自分の時間を削っている。

だから対等だと思いたかった。

 

でもそんなことをいちいち気にする必要はないんだと思えた。

あの人はすごいとか頑張っているとか、いちいち人に思われなくてもいいじゃないか、と。

 

人の目を気にする暇に、もっと勉強しろ。

誰かの口から言われたら反発するか

分かっちゃいるけどできないんだよ、と言いたくなるだろう。

 

でも、遠い昔に誰かが言った言葉として読むと

素直に受け取れる気がした。

 

力を抜こう。

やれることをやろう。

 

弱い人として扱われたから、私が弱くなるわけではない。

誰かが認めてくれなくても、私の価値が変わるわけではない。

すごい人になりたいわけでもない。

でも矜持を失いたくない。