消えた夏休み、或いは1日だけ休めた幸運
夏休みは職場の都合でお盆ね、と言われていた。
8月末に休むつもりの夫と1日もかぶらない。でも好きなことを言える立場でもないから、今年は仕方ないねと話していた。
本当なら、夏休みが重なったら
1日くらいは子どもを保育園に預けて、どこかに出かけたかった。
子連れじゃ入れないお店で食事するとか。
気になっていた映画を見るとか。
でもそんなのは贅沢だから、無ければ無いで生活できる。
と思って割り切っていたら、お盆休みの3日のうち2日は出勤しろと言う。
残業できない分他の人に負担をかけているんだから、そこくらい出なさいと。
相手の言う事は尤もなので(なぜ今それを言うのかという疑問はあるにせよ)、自分の意志で受け入れた。
えらい人に手回しすれば回避できたかもしれないけど、ここで忠誠を見せておいた方がいいのかなと打算が働いたから。
ここで忠誠を見せたところで、体育会系のノリのこの仕事では私は長続きしないだろうなと思う。他に人がいなかったから仕事をもらえただけなんだろう。
それでもできる限りのことはやろうと思うのは、おおげさだけど
この仕事を続けていく上での覚悟、みたいなものかもしれない。
自分の都合だけ振りかざしていたら仕事はできなくなる。
もし自分はできても、自社の他の人が、これから子持ちで働くかもしれない若い人たちが被害を被る。
だから限られた時間の中で、できる事は誠実にやりたいと思う。
そんな理屈を捏ねながらも、休んだらできたはずのことが頭をちらつく。
1日でも休めたことを喜ぶべきだ、と考えながらふと、働かなければ毎日が自由じゃないかとも思う。
でも違う、そうじゃない。そうなりたいわけじゃない。
自分で望んで仕事に戻りながら、いちいち悩む姿は傍から見たら意味不明だろうな。
特に、自分の意思じゃないながらも復職に協力してくれた夫に
仕事がどうたらと不満を漏らすのはお門違いもいいところだな、と反省した。
こんな当たり前のことすら、時間をかけないと気づけない。
もっと苦労してもっと考えないと、人と同じスタート地点にすら立てない気がする。
働き始めたばかりの若いころからずっと、そんな気持ちが抜けない。