IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

わたしのかんちがい(専業主婦について)

下書きフォルダを見てみたら下書きがたくさんたまっていたので
拾い上げてみる。

これは2015/05/13に書かれたもの。

 

 

いつの頃からか思い出せないけれど、「子どもがいて働く女性は大変だ」と思っていた。

自分の親も共働きであり、父親は家事をしない人だったから、
大変そうな母親を見てそう思うようになったのかもしれない。

 

就職したIT業界では、新卒の時点で女性の絶対数が少ない。

自分の場合は、女性は新入社員の3割だった。

疲れて辞める人、結婚して辞める人、出産して辞める人などがいるから
新卒より上の世代の女性比率はもっと低い。

社内結婚や同業者との結婚も多く、激務の夫を支えるために辞める人が多かったように思う。

 

そんな環境だから、仕事で出会う人の中に「働くお母さん」がいる確率はすごく低かった。

たまに出会う「働くお母さん」に私は何と言っていたのだろう。

「お子さんがいてお仕事を続けるのは大変でしょうね」というようなことを言っていたように思う。

驚きとか尊敬とか労いとかのつもりで言っていた、と思う。

たぶん、もし子どもがいる専業主婦に出会っても、「専業主婦なんですか、大変でしょうね」とは言わなかっただろう。

 

専業主婦はラクしてるんだろう、と決めつけるつもりはなかったにせよ、
大変だとも思っていなかった。

専業主婦が具体的にどんなことをしているのか、知らなかったのもある。

身近に専業主婦がいなかったから、専業主婦といえば
寝転がってテレビを見ながら煎餅を食べ、夫の小遣いを削り、自分は豪華なランチ…
というようなステレオタイプなイメージしかなかった。

 

でも、いま、自分が子供と暮らしてみて思う。

子どもがいる専業主婦、めちゃくちゃ大変だろうな、と。

でもその大変さを、世間はあまり分かってくれないだろうな、とも。

 

子どもがいて働いているというのは、誰にでも分かりやすい大変さで
そこに異論を差し挟む人はあまりいないように思う。

専業主婦の大変さは、本人や周囲にしか分からないものなのかもしれない。

 

「子どもがいて働いていたら大変でしょう?」と言われるたびに
専業で子育てを頑張る人たちのことが頭をかすめる。

「大変だね」と言ってもらえることがいいことなのかも分からないけれど
自分だけが大変なんだなどと思いあがらないようにしよう、と思った。

 

なぜ私は手作りの服を作るようになったのか(2)

前回のまとめ
なぜ私は手作りの服を作るようになったのか(1) - IKISG

・私は学校で家庭科をやっただけの素人。
・布や手芸用品は意外と高い。既製品を買った方が安い。
・手作りすることで得られる満足感は確かにある。

この状態から次のように改善して、今でも服を作っている。
・素人だから難しいものは作れない。なら簡単なものを作ればいい。
・材料費が高い。なら材料費がかからないものを作ればいい。
・満足感は特に改善の必要なし。


気づきはふとした時に訪れた。
子どもが気に入って着ている服も、次の年にはパツパツになってしまう。
胸に大きく動物がプリントされたTシャツは特にお気に入りで
洗濯が終わっているのを見つけると、連日でも着て行こうとしていた。
でももう胴回りがきつい。

ふと思った。
これ、袖を落として裾を縫い合わせれば、巾着になるんじゃないか?と。
「お洋服、もう着られないから、袋を作ってあげるね」
と子どもに言ってみると、子どもも乗り気になった。

裏返して裾を縫い合わせ、表に返す。
袖を切り落とし、切ったところと首周りを折り返して縫う。
折り返したところに紐を通せば、あっさりと巾着ができあがった。
大きくプリントされた動物はほぼそのまま残すことができた。

簡単な物とはいえ、作ると達成感のようなものがある。
子どもが喜んでくれたのはよかった。
ゴミが減らせたのもよかった。
袋なら使い道はいくらでもある。

これか、と思った。
素人手芸が生きる道がここにあった。

リメイクをすればいいのだ。

(つづく)

恥ずかしい思い込みの話をしよう

昨日は雨で、ふと昔の思い込みのことを思い出した。
今となっては恥じ入るばかりだ。


10年ほども昔、私にとってビニール傘は
「急に雨に振られて、折り畳み傘ものない時に買う間に合わせ」だった。
買うときは、ああもったいないことをした…と思っていた。

予報通り雨が降った午後、ビニール傘をさしている人を見れば
予報見なかったのかな?折りたたみも置き傘もないの?
と思ったし、
朝から雨の日にビニール傘をさしてくる人には
この人に家にはまともな傘がないのかな?
とも思っていた。


某所で働いていたとき、普通の(ビニ傘ではない)傘を500円で売っているお店があった。
いちどしか使わないビニ傘を買うくらいなら…と、急な雨の時はそこで傘を買ったりもした。


誰かが一度だけ使ったビニール傘が傘立ての中で汚く錆びていくのも嫌だったし、
ビニール傘を置いておくといつの間にか盗られるのもいやだった。
「ビニ傘ならパクってもいい」と公言して堂々と持っていく人もいて、
とにかく私にとってのビニール傘はあまり関わりたくないものだった。

知らなかったのだ。ビニ傘を便利に思うことがあるなんて。

ビニ傘がべんりなとき、それは子供といる時だ。
雨で荷物は増え、子供にも目を配り、視界は悪く、
そんな時に普通の傘なんて使っちゃいられないということにやっと気づいた。

ビニ傘は透明だから、雨に濡れないように深くさしても前が見える。
ビニ傘なら、もし雨がやんで子供がぐずって抱っこ移動になったら、心置きなく捨てられる。

ビニ傘、いままでごめん、と思いながらビニール傘を愛用することになった。
子どもが小学生くらいになったら、また普通の傘に戻るのかもしれない。


それにしても、なぜ普通の傘で透明のものはないのだろう。
子供用で一面だけ透明なものは見たことがあるけれど
大人用にもあったら便利だろうなと思う。

なぜ私は手作りの服を作るようになったのか(1)

結論、それでも私は手作りをする。

 

妊娠が分かったら、もしくは子どもが生まれたら
誰でも一度は考えるんじゃないだろうか。

 

「手作りの服を着せてみたい」とか
「手作りの服とか作ったほうがいいのかな?」とかを。

 

現実に、元からそういうのが好きで得意な人でなければ
子どもと暮らして仕事をしながら服も作るというのは、むずかしい。

そもそも手作りに向かうモチベーションも微妙だったりする。

 

手作りはコスパがいい?

子供服が高かった時代(私が子どものころはそうであったらしい)ならともかく、
今や西松屋でもアカホンでも、そこそこ可愛い服がお安く買えてしまう。

そもそも自分の人件費など考えてしまうようになると(判断材料その一:自分のコストを考えてみる - IKISG)、
素人の手作りは割に合わないものだと思う。

人件費はさて置いても、手芸店で売っている布は一様に高い。おしゃれな布は更に高い。
毛糸なども同様で、既製品を買った方がよほど安い。

 

手作りは母の愛情?

このあたりは精神論になってくる。
「子どものために頑張った」「周囲の人も褒めてくれた」「私は"母"を頑張っている」
という自己肯定感は確かにものすごくある。

でもそのために手間暇とお金をかけて、既製品よりレベルが劣る服を着せるのはどうなんだろう…
と思うとためらう。

 

手作りだと市販されていないようなものを作れる?

作家さんやパタンナーさんならこういうあたりが動機になるのかもしれないけれど
小中で家庭科をやっただけの私には、変わったものを作る発想も技術もない。

 

私も「子どもが生まれたら手作りの服を…」と一度は思い、
しかし上記のような事情の前に挫折した。

 

それでも私が手作りをするようになったのは、自分に合ったやり方を見つけたからだった。
(つづく)

 

(↑この「つづく」というのを一度やってみたかった)

半年間の育休を振り返って後悔した4つのこと

もっと育児書を読めばよかった。

駄目な親の例として「育児書ばかり読んでいる親」というのをよく見かけた気がする。
どこで見たかは覚えていないのに、「育児書ばかり読んでいる親」と言われたら
「ダメなんだろうな」と条件反射で思ってしまう。

きっと「親は必ず子どもを愛するものだ」とか
「専業主婦はラクで夫から搾取したお金で豪華ランチを食べている」のような
マスコミに作り上げられたイメージなのかもしれない。

私は育児書をほぼ読まなかった。
唯一読んだのが、子どもが生まれてすぐの頃読んだネントレ本だ。
そのほかは見なかった。育児書も「たまひよ」も情報サイトも。

 

 (唯一読んだのはこの本)

赤ちゃんがすやすやネンネする魔法の習慣 (PHP文庫)

赤ちゃんがすやすやネンネする魔法の習慣 (PHP文庫)

 

 

理論に頼ってはいけないような気がしていた。
でももっと本を読めばよかった。
だって、初めて関わる新生児を、勘や思い込みだけで扱っていいはずがない。

育児書を読むのがだめなのではなくて、育児書に囚われ過ぎることがダメなのだ。
情報自体はいくらあってもよかったと思う。
(ただし産後鬱のようになっているときは見ないほうがいいのかもしれない)

 

もっと子どものことを見ていればよかった。

今になって子どもが小さかった時のことを思い出そうとしても、
本当にびっくりするくらい覚えていない。


毎日あの小さな子と二人きりで、夫は帰りが遅くて、
サークルにも入らず習い事もせず
行き先と言えば近所のスーパーくらいだった生活で
私はいったいあの子とどんな時間を過ごしていたんだろうか?

一緒にいたはずなのに断片的にしか覚えていない。
朝起きてから寝るまで、何をしていたのか分からない。

きっと先のことへの不安で、子どものことをちゃんと見ていなかったんだろうと思う。
ちゃんと復職できるのか。保育園に入れるのか。
この子は元気に育つのか。いつ喋ってくれるのか。

先の不安に負けないで、もっと子どものことを見ていればよかった。
私の心の中には自分の心配ばかりがあったのだと思うと、悲しい。

 

もっといろんなところに出掛ければよかった。

ちいさな子どもを連れ歩いて、病気をもらったら困る。
出先で泣いたり騒いだり吐いたり、おむつから漏らしたりするかもしれない。
誰かに迷惑を掛けるかもしれない。嫌な顔をされるかも。

そんな不安ばかりで、私は殆ど家のそばを離れずに過ごした。
引きこもるのだけはよくないから、毎日スーパーには行くようにしたけれど。

怖れずにもっと外に出ればよかった。
そうしたらもっと楽な気持ちになれたかもしれない。
子どもを連れて行っても迷惑がられない場所は、たぶんいくらでもあった。
(そのあたり都内は恵まれていると思う)

 

もっと自分の将来を信じればよかった。

不安に押しつぶされそうになって、子どもと二人でいることに価値を感じられなくて
私にとっての育休期間は「早く抜け出すべきもの」になっていたと思う。
なんてもったいないことだろう。

自分は子どもと一緒にちゃんと暮らしている、と胸を張れればよかった。

家事がちゃんとできない日があったって、そういう時期だから仕方ないと思えればよかった。

夫も誰も、私を責めたりなんかしなかったのに。

自分のその先を信じることができていれば、
もし信じられなくてもいったん心配ごとを脇に置いておくことができたら、
もっと子どもと二人の暮らしを楽しめたんじゃないだろうか。

あの時の私は本当に頭の固いやっかいな心配性になっていて
「子育てを楽しんでね」という友人からのアドバイスすら素直に聞けなかった。

 

あの時のつらいつらい気持ちから解放されてよかった。

あのつらさは私が作り出していたんだな、と今になれば分かる。

 

あれから何度も何度も思ったけれど
あの頃の私に「心配しなくていい」と言ってあげたい。
できなかったこともすぐにいろいろ元通りになるし、
それ以上に幸せになるよと言ってあげたい。

 

もちろんもう時間が戻ることはないのだけれど
せめて不安で不安で仕方がない新米おかあさんたちが
少しでも楽になりますようにと願う。

お金がないのが問題じゃない(気がする)

子どもが生まれてから3年ちょっと
復職してからもうすぐ2年の実感として、親に頼れない子育ての実感として
声を大にして言いたい。

お金がないのが問題じゃない、と思う。

 

前にも同じタイトルで書いているけど(お金がないのが問題じゃない - IKISG)、
今回はちょっと違う。

 

「子どもを一人育てるには○千万円必要」というような話をよく聞く。

子どもが欲しいけどお金の不安が、という意見も散見される。

子どもが生まれれば子ども手当も頂けたりする。
(なぜか3歳で減額されるが)

 

お金がなければ子どもを産めない、はその通りなのだろうけど
じゃあ終身雇用で右肩上がりの給与をもらえていれば、
または保育園にちゃんと入れて共働きが続けられれば、
子どもはどんどん生まれてくるのだろうか。

どうもそうは思えない。

 

子どもが生まれてから今日まで、必要だと思ったのはお金よりも圧倒的に時間だった。

時間がない。とにかく時間がない。

寝る時間すらない赤ちゃん時代を経て、つきっきりであげた離乳食、
トイレまでついてくる乳児期。

熱でも出せばうとうと寝ては泣き、そのたびに抱っこして、
週末なのに仕事より疲れることもよくあった。

今はだいぶ言葉が通じるようになって楽ではあるけれど
天気がよければ「こうえんいきたい」、雨なら「ブロックやろう」「えほんよんで」。

子どもに「ちょっと待って」を繰り返しながら家事をバタバタとする。

自分がやりたいことはどんどんたまっていく。

隙間時間を見つけても「今のうちに洗濯しちゃおう」などと考えるようになる。

自分の時間は自分のものと、好き勝手やっていた自分はどこへ行っちゃったんだろう。

 

「子どもがいると時間がない」なんて誰も教えてくれなかった。

 

「子どもを育てるには○千万円必要だ」という説も、
(計算方法によってズレはありそうだけれど)そう間違った数字ではないのだろうと思う。

でもそれ以上に、「子どもを育てるには自分の時間が必要」なことが重大な気がする。

 

仕事も趣味も生活も、すべての時間が子どものために使われていく。

そしてそれは赤ちゃん時代の話だけではなくて、きっと子どもが大きくなってからも変わらない。

自由な時間はだんだん増えていくのだろうけど、
子どもも手伝ってくれるようになるのだろうけど、
母としての義務が消える日はもっとずっと先なのだろう。

急に思い立って旅行に行ったり、友達とその場のノリでオールしたり、
そんなことはもう当分できない。

 

もしかしたらみんな分かっていて、覚悟もあるうえでお金だけがなくて
「○千万円必要」と言っているのかもしれない。

でもそれは「○千万円だけあればOK」という意味ではないんだよなあ、と今さら思う。

 

親に頼れない子育てをする方へのエール

親を頼れず、夫も激務で、自分は復職を希望していた。

いろんな不安でいっぱいだった。

出産から3年以上、復職してからもそろそろ3年になる今、だいぶ落ち着いたので
これから私のような生活に入る人や、入りたてで不安な人に
少しでも役に立てればと思って書いてみる。

首都圏に限られた話もあるかもしれない。

 

不安だったこと1: 仕事に戻れるんだろうか?

これは職種や会社の文化にもよるし、子どもの健康さにもよるので何とも言えない。

ただ、一個人の実感として
やるまえに諦めてしまうなら、やってみてから諦めたほうがいいのではないかと思う。

子持ちで再就職するには
「保育園に入れない」「採用してくれる会社が少ない」という二つの壁がある。

よほど特殊な資格持ちでなければ、まずは今いる会社で続けるのがいいと思う。

辞めてから「続ければよかった」と思っても難しいからだ。

 

不安だったこと2: 社会との接点がなくなってしまう

もともと仕事に戻りたかったことに加え、産後の休暇中の生活で更に思った。

「働きに出なければ社会との接点がなくなる」と。

夫以外とは、スーパーで「袋いりません」と話すのが全ての日すらある日常。

まだ話せない子どもと二人きりでずっと過ごす時間。

これはよくない…とにかくよくない…と思っていた。

夫は気楽に「ママ友でも作れば」というが、
もともと人と仲良くなるのに時間が掛かる自分が
「子どもがいる」という接点だけで誰かと仲良くなれるとは思えなかった。

むしろ余計ストレスがたまりそうだ。

意を決して近所の児童館に出掛けてみたりしたが
既に出来上がっているコミュニティに入れず、余計に危機感がつのった。

 

あの時私の頭の中には「会社orママ友orぼっち」という選択肢しかなかった。

とにかく視野が狭くなっていたと思う。

視野が狭くなっているかもしれない、という自覚すらなかった。

 

今振り返って思うのは、別に働かなくても社会との接点はあったということだ。

「子どもがいるというだけで仲良くなれる」わけではないのは今も一緒だが、
「子どもがいて気が合う人」というのもいる。

託児付き親向けセミナーや子どもOKの演奏会があるのも知った。

私の友人は、区が主催する子連れOKのヨガ教室に通ってママ友ができたそうだ。

 

子どもがいる人を助けてくれるものはたくさんある。

しかも、地方自治体が主催するものなら、費用はごく安い。

ただ、大々的に宣伝されていないだけだ。

自分が住んでいるところのウェブサイトやパンフレットはすみずみまで読んだ方がいい。

 

不安だったこと3:育児に関するアドバイスをもらえない

自分の親が日常的に育児に関わっていれば、その経験に助けられたかもしれない。

それがない私は一人で立ち向かわなければならない、と思っていた。

 

結論を言えば、全然そんなことはない。

保育園に行くようになれば保育園の先生が有用なアドバイスをしてくれ、相談にも乗ってくれる。

肉親特有の押しの強さで「可哀想」攻撃をしてくることもないし、
古い育児の知識を押し付けられることもないし、
情で甘やかしすぎてしまうようなこともない。

私にとっても、親に言われたらムッとするようなことも
たくさんの子どもを見てきたプロの意見と思えば素直に聞くことができた。

私は本当に保育園の先生に救われたと思う。

たまたまベテランの先生が担任になってくれたのもよかった。

 

保育園に行かず家で育児をする人でも
保健師さんや一時保育、保育園が行う保育相談など
話を聞いてくれる場所はあると思う。

どうぞ恐れず相談してみてほしい。

当たり外れはあるかもしれないけれど、相手はプロだからきっといいアドバイスをくれる。

 

不安だったこと4:家事も仕事も中途半端になっちゃう

それまで残業ばかりして働いていたから、余計にそう思った。

効率を良くすると言っても限界がある。それまでと同じ働きはできない。

それは受け入れるしかなかった。

 

それでも、辞めてしまえば戻れるかすら怪しいから、
今は「つなぎ」と割り切る気持ちも必要かもしれない。

子どもが大きくなれば、また仕事に打ち込めるかもしれない。

それとも、セーブした働き方をする中で、他にやりたいことが見つかるかもしれない。

お金のためにもキャリアのためにも、今できる仕事を受け入れることが必要だった。

 

子どもが生まれても何も変えずに済む夫を羨ましいと思ったこともあった。

でもそれは仕方ない。

子どもを産まないことも、産んだ後もバリバリ働くことも、自分で選べることだ。

でも子どもを産み、無理のない範囲で復職することを選んだ。

だからそれに対していつまでもぐちぐち考えてもしょうがない。

復職してからしばらくは「誰でもできる仕事」「自分はいてもいなくても変わらない」など
拗ねた気持ちを持っていた。

でもその後、いろいろ足掻いてみて(今が一番楽しいと言える - IKISG)、
今は充実している気がする。

 

将来のために「捨てる」期間として復職した、と考えるのも一つだし
やれる範囲で楽しんじゃおう、と思うのも一つだ。

 

家事は工夫のしどころがいくらでもあるから、思っていたほどひどい生活をせずに済んでいる。

自分で工夫して振り返って改善する、と仕事のように取り組んでもいいし
ブログや本で先人の知恵を拝借するのもいい。

試行錯誤したことはこのあたりに書いてある。

自分で編み出したテクニックのようなもの:乳児期 - IKISG

ふりかえり ~親を頼れない子育て - IKISG

 

特に「仕事のように家事をする」のは自分にとってはイノベーションで、
いままで「気が乗らないからやらない」「だらだらやる」ものだった家事を
工夫してやるようになった。

一定期間ごとに振り返って、失敗と成功を整理する。

失敗要因を探り、改善策を考える。

ステマティックに、機械のように粛々とやる。

そういうゲームだと思えば面白かった。

 

「夜ごはんは夜作るもの」「洗濯は朝」そういう自分の「なんとなくの常識」を打ち壊して
条件に最適な手段を考える。

これは仕事にも活かせるのではないかと思う。

 

仕事は家事に活き、家事が仕事に活きる。

家庭と仕事を両立する面白さはそこにあるのかもしれない。

 

不安だったこと5:それでも不安!何かが不安!

夫でも友達でも、誰かに気持ちを話す。

「自分ばかり大変」「独身者は気楽でいいな」「夫は飲み会に行けてずるい」
などと思い始めると本当に危険なので
そうなる前に誰かに弱音を吐いてみるといいと思う。

どんな立場の人でも、「自分ばかり頑張っている」と思っている人に魅力的な人はいないと思う。

 

親に頼らなくても大丈夫。

不安を感じずに過ごせる。

意外とちゃんとやれる。

そうなるよう願っています。