IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

いつか役に立つ日

学校の勉強が実生活に役立つとは、学校に通っている時ですらあまり思っていなかった。

勉強し、テストで点数がつき、評価が決まる。勉強ができる子はいい学校に行き、大企業に入る。

漠然とそんな風に思っていた。

 

私は美術科目が得意だった。

ほんとうは絵をかくのが一番好きだったけれど、絵で最高評価をもらえたことはなくて、
代わりに絵以外の美術ではいつも5段階の5や10段階の10をもらえていた。

たとえば木を彫ったり焼き物を作ったりレタリングをしたり。

でも絵をそれらを職業にできるほどではない。

趣味として残ることもなく、ただ楽しい授業の記憶があるだけだ。

そういえば技術も好きだった。

電子回路やら木工やら、そんな感じで物を作るのが。

 

数学は苦手だったけれど、立体の展開図を考えるような分野だけはいつも満点を取れた。

平面を組み立てるとどんな形になるか、立体を平らにするとどんな形になるか、頭の中に見えていたと思う。

 

子どもの物を手作りするようになって、その頃の経験が少し活きたと思う。

絵を描くというのは、だいぶおおざっぱに分解すると、見たものに似せて描く技術だ。

そして展開図や立体をイメージできること。

型紙を見て大体の形を作り、できあがりをイメージしてミシンを掛ける。

本に載っていないアレンジを考える。

商売物には及ばないながら、子どもに着せても大丈夫なものができあがる。

遡るとそれは、学校の美術と数学の授業にたどり着く気がした。

 

いつかこんな日が来ることを知って授業を受けていたら
今ごろもっと上達していたかもしれない。

学校の勉強がどんな風に役に立つのか、子どものころは分からなかった。

それを教えてあげられる親になりたい。

 

 

子ども用品を手作りする意味

子どもが生まれてから、少しずついろいろなものを作った。

 

フリースの室内用靴下(すぐに足が大きくなって履けなくなった)や

レッグウォーマー(あまりつけてくれなかった)や

保育園で履くズボン(何枚か作るうちにだいぶ熟練度が上がった)など。

身に着けるもの以外でも、折り紙や風車のようなかんたんなおもちゃ、
おままごと用にフェルト製の食べ物なども。

 

手作りは楽しい。

赤ちゃんの頃と違い、最近は手作りと分かると喜んで使ってくれるようになった。

喜んでもらえればなおさら嬉しい。

 

でも、圧倒的に、買ったほうが安いし質がいい。

 

自分で作ってみてつくづく感じたけれど、
学校で普通に家庭科の授業を受けただけの私では
西松屋あたりでワンコインで買えるような服すらうまく作れないのだ。

そして西松屋に限らず、安い子供服はあちこちにある。

 

手芸用品店で安くない布を買い、手間暇かけて手作りする。

素人がわざわざそれをやる味意は自己満足だけなのだろうか。

 

オリジナルデザインの服を作るとか、凝ったデザインの服を作るなら
ハンドメイドのメリットを活かしやすそうな気がする。

手軽な普段着を作っている限り、量販店には勝てそうにない。

 

それでもなぜか服作りを続けてしまう。

ミシンを使う間は無心になれるのがいい。

できあがるごとに達成感があるのがいい。

一枚ごとに上達を感じられるのがいい。

自分があまり着なくなった服をリメイクして有効活用できるのがいい。

この形の布から何を作れるか、考えるのが楽しい。

 

いつか子どもが「手作りなんてかっこ悪い」と思う日まで
細々と続けてみようと思う。

 

子どもに関する無責任な想像と責任

子どもについて、無責任な想像をするのは楽しい。

 

たとえば、
「子どもが本好きになったら嬉しいな」などと考える。

自分も本が好きだし、本からいろんなことを知ったし、
嫌なことがあったときも面白い本を読んで現実逃避できた。

子どももたくさん本を読むようになるといい。

これは楽しい想像だ。

 

ずっと先になるだろうけど、私が読んで面白かった本を貸してあげたり
感想を言い合ったりするのはきっと楽しいだろう。

そういえば、子どもが本を読めるようになる前に、
隠しておかなければいけない本もある。(村上龍だとか春樹だとか)

どこに隠せばいいのだろう。

これを考えるのもまだまだ楽しい。

 

でもまあ子どもが字を読めるようになるのだって先のことだし、
本好きになるかもわからないし、と油断している。

 

幸い子どもは絵本に興味を持ってくれ、ただ聞くだけから
身振り手振りを真似し、ワンフレーズを覚えて喋るようになった。

順調に本好きへの道を歩んでいる。

しめしめ。

 

などと喜ぶのはまだ早く、そのうち子どもは自己主張するようになる。

「えほんよんで」

「もっとよんで」

「つぎはこれ」

 

 疲れた日も眠い日も風邪の日もそれは続く。

好きになってくれたことは嬉しい。

自分が望んだことでもある。

でも今日はちょっと勘弁してほしい。

早く自分で読めるようになってくれたらいいのに。

「よんで」に今日はヤダと答えてみたい。

でも好きになるように仕向けておいてそれはひどいのか。どうなのか。

 

子どもとの生活はいつもこんな風だと思う。

無責任に想像し、ちょっと踏み出してみてから気づく。

その想像に追いつくまでの現実。日々の責任。

でもそれもまた楽しい(かもしれない)。

 

私は技術者でいたい

仕事に戻りたい戻りたいと思っていた頃、
エンジニアでいたい気持ちと、とにかく社会に接していたい気持ちとがあった。

あの時、もし、
「エンジニアとしては戻れない。専業主婦になるか、違う仕事で戻るか」
と言われたら、自分はどちらを選択していたのだろう。

 

幸い、同じ仕事のまま、会社に戻ることができた。

しかし理不尽なことを言われたり、役割を押し付けられたりして葛藤もあった。

辞めたほうがいいのか、辞めるべきなのか、と思ったことも一度ではない。

 

しかし小さい子どもを抱えて転職はいかにも難しそうだ。

採用してくれる会社があるんだろうか?

もしあったとして、ちゃんと毎日定時で帰らせてもらえるんだろうか?

飲み会に全く出ず、新しい会社に馴染めるんだろうか?

いきなりお荷物状態で入ってくる社員をよく思わない人だっているだろうし。

転職できたとしても、待遇面も気持ち的にも楽じゃないんだろう。

行き場はたぶんない。

 

働くこととは、私にとって何なのだろう。

今の会社で働き続けたいのか?

それとも、一人の技術者でいたいのか?

 

技術者でありたいと思った。

それなら、今の会社の無理解を気にすることはない。

 

何ができたら、業界で求められる人材になれるだろうか。

いつか身軽になったとき、それは10年以上先かもしれないけれど
それでも転職できるような何かを身につけられたら。

そのために今の環境で使えるものは使おう。

 

理解してほしいと思うから、無理解な態度に苦しむ。

分かってもらわなくていい。

今やれる準備を粛々と進めよう。

 

私はほんの少し自由になったと思う。

復職できた幸せと不幸せ

とある、産後の復職についての研究がまとめられた本を読んだ。

総じて読みづらく、「要するに何?」が分かりづらい本だったと思う。

透けて見える作者の人柄もあまり好きになれなかった。

 

それでもなお、その本の内容は重たく、途中で投げ出すこともできず、最後まで読んだ。

 

産前にバリバリ働いていた人ほど、復職後のギャップに空しくなる。

独身社員や妻帯者と同じように働くことはできない。

母の立場を完全に捨て去ることもできない。

かといって以前のままの激務だと自分が立ち行かず退職となる。

会社側の配慮のすえ楽な仕事に回れば周りの目が冷たく、自分の価値を感じられなくなる。

バリバリ働く女性は同じタイプの男性と結婚する傾向が高く、
従って夫に子育ての分担をあまり期待できない。

母は子のそばにいるべき、という社会の圧力がある。

そういう環境の中で、次第に熱意が減っていき
「子どもを預けてまでする仕事ではない」と思って辞めていく話など
他人事ではなかった。

これは私だ。

同じようなことをつい最近、私も書いていたではないか。

この現実はあまりに救いがない。

 

一方で思う。

もし自分が経営側、もしくは独身の立場で
上のような話を率直に聞かされたら、何を贅沢なと思うだろう。

今の私自身が思っている。何を贅沢な、と。

保育園に入れて、元の仕事に戻れただけで幸運。

やりがいなど求めてはいけない、だって大役を任されたって務められないではないか。

 

会社の優しい人が言う

「今は仕方がないよ。子どもが小さいんだから」

という言葉すら、「今はお荷物でも仕方ない。後で返せばいい」と言われているように聞こえてしまう。

もし途中で辞めたら、恩の借りパクのような行為になってしまうのだろうか。

でもいつになればかつてのように働けるというのだろう。

10年経っても子どもは小学生で、そんな子を家に置いて深夜まで働けるはずもない。

子どもがいる状態で働きながら、誰かの役に立つことはできないのだろうか。

 

今が一番楽しいと言える、と前回の日記に書いたけれど
それは脇道に逃げたようなもので、会社で役に立てている実感が持てなかったから
技術者のコミュニティに逃げ込んだだけだ。

そこに救いがあったとして、これが復職した人のスタンダードになるとも思えない。

自分だけは楽になっても、何か違うような気がする。

かといって答えはないのだけれど。

 

また異動の季節になり、次の上司は3人の子どもを持つ男性だという。

その人から何かヒントがもらえるかもしれない。

今が一番楽しいと言える

産休・育休を経て仕事に戻り、いろいろなことに勝手に挫折して
自分は何のために働くのだろうか、なんて考えたりした。

勝手に「どうせ期待されないんでしょ?お荷物なんでしょ?」と拗ねたりした。

 

復職から丸2年が経ち、やっと迷うことなく言える。

今が一番楽しい。

 

よく分からない価値観を押し付けてくる人は相変わらずいる。

でもそんな人は少数で、気にかけてくれる人もいて、無関心でいてくれる人もいる。

(過剰に気を使われたり弱者扱いされるより、関心を持たれないほうが心地よいこともある)

 

何かを探して社外勉強会に参加するようになって、もうすぐ1年。

細々としか参加できないうえに、分野が定まらなくて、それほど濃い関係が築けたわけではない。

でも顔なじみの人が何人かできて、エンジニアらしい会話もできるようになって
「その人としかできない」ような会話も少しずつできるようになった。

 

自分の無力やスキルの足りなさを痛感したから、前より謙虚に
いろんな分野の勉強をしようと素直に思えた。

(以前は「そういうの好きじゃないし」「興味ないし」で終わっていた)

 

ほんの少しではあるけれど、新しい世界が開けて
産休からずっと感じていたあの閉塞感はだんだん薄れてきた。

今でも仕事を終えたら定時ダッシュで園に向かう日々だし、休日も家事に追われる。

やりたいことばかり増えて時間のなさが余計感じられる日もある。

それでも今が一番楽しい。

 

社畜として深夜休日を働きづめ、上司に頼りにされる日々も楽しかった。

でも今、自分でやりたいことを探して勉強して、人の輪も少しずつ広がって、
僅かでも前に進めている、と思えることが幸せだ。

 

仕事に戻ることを、
自分が楽しいと思えることをやれることを、諦めなくてよかった。

専業主婦vsワーキングマザーなんて誰かの陰謀だ

どこかの匿名掲示板だったか、それとも匿名ダイアリーだったか。

それぞれが自分の思いをつづる場所で、

「ワーキングマザーなんて大嫌い」と書かれた文字が目に入った。

書いている人はどうやら子育て中の専業主婦。

自分もワーキングマザーの端くれとして、どうしても気になってしまった。

(蛇足だがワーキングマザーと呼ばれるのは好きではない)

 

放っておかれる子どもがかわいそう。

そんなに働きたいなら子どもを産まなければいいのに。

自分はいっぱい子どものそばにいてあげるんだ。

 

そんな文章がたくさん、連ねられていた。

どれもよく言われることではあるけれど、目にすれば平常心ではいられない。

だいぶ慣れてはきたがそれでも、罪悪感のようなもの、が胸をかすめる。

 

書いた人の怒りの漂うような長い文章を下まで読んだとき、

「働いていないからって私たちのことを見下して」

という一文にたどり着いた。

ああ、と思った。

 

それを書いた人はだれか身近な人から、もしくはネット上で、
専業主婦の立場を馬鹿にされた。

だからワーキングマザーが嫌いなのだ。

なんてわかりやすく、なんて不幸な構図。

私ももし、ワーキングマザー全般へではなく私個人に対して
子どもを預けて働いていることを見下されたら、
その相手に平らな心ではいられないだろうなと思う。

 

違う選択肢が同時に存在するとき、それが戦いになってしまうのは不幸だ。

でも一つのものを奪い合うような話ではないのに、なぜ戦いになるのだろう。

ある人は家庭に入り、またある人は働くことを選びました。

めでたしめでたし。

にならないのは何故かを考えると、
誰かが不幸か、誰かが不公平に感じているか、誰かが自分の思い通りにできていないからか。

 

私は自分で仕事に戻りたいと思い、そのためには半ば強迫観念のように
毎日同じ時間に子どもを寝かしつけたりもした。

その結果のワーキングマザーだから、復職した後に葛藤もあるにせよ
現状には満足している。

もしそうでなかったら、その鬱憤は、誰か自分と違う立場の人へぶつけられたのだろうか。

 

専業主婦vsワーキングマザー、という構図は確かにあるような気がしている。

でも現実に自分の身でそれを体験したことはない。

専業主婦の方から敵視されたこともなければ(そもそも出会わない)、
他のワーキングマザーから専業主婦批判を聞かされたこともない。

単に私がぼっちな可能性も捨てきれないが、それにしても一切ない。

 

ひょっとして専業主婦vsワーキングマザーという構図は
メディアか匿名のネット上か、それを面白がる誰かが作った虚構なんじゃないだろうか。

戦いはない。悪意は存在しない。

もちろん自分が相手に悪意を向けてしまえば報いは受けるだろうけれど、
それは専業主婦とワーキングマザーの間に限った話ではない。

そう思っておこう。