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IKISG

都内在住、IT職フルタイム、1児の母。親に頼れず、夫は多忙のワンオペ育児。巷のメディアに取り上げられるワーキングマザーはスーパーウーマンすぎて身近に感じられない。普通の人でも、親に頼らなくても働くにはどうしたらいいのか考えています。生後5か月の子を認証園に預けて復職し、1歳で認可園に転園。復職から3年ほどの人が書いています。

乾燥機付き洗濯機、その後

産後に買って便利さに愕然としたものの一つが、乾燥機付き洗濯機だ。
ちょっと贅沢な気がする人もいるかもしれないけれど(私もそうだった)、
産後に親を頼れない人ならぜひ導入したいアイテムだと思う。
ちょっと高いくらいを補ってなお余りある便利さだから。

 

洗濯物が乾かせるだけでしょ?と思うかもしれない。(私もそうだった)
たったそれだけのことが、産後には泣けるほどありがたいのだ。

洗濯物を干したり取り込んだりしなくて済む。
つまり、子どもを置いて室外やベランダに出なくていい。

スイッチを入れたら乾燥まで勝手にやってくれる。
つまり、洗濯が終わるのを待つ、という行為が必要ない。寝てしまったっていい。

これらのありがたさは、親を頼れない育児に関わる人でなければ分かるまい。
(おおげさか)

 

その感動から、乾燥機付き洗濯機の記事をいくつも書いた。

ふりかえり ~親を頼れない子育て - IKISG

これから出産する人へ伝えたい(親を頼れないバージョン) - IKISG

判断材料その一:自分のコストを考えてみる - IKISG

タスク引き継ぎメモ(仮) - IKISG

親を頼らない子育ての実情 ~休日編 - IKISG

 

だから、その後のことも書かなければ公平ではないと思う。

上の記事で大絶賛している乾燥機を、いつしか使わなくなっていた。

だんだん乾きが悪くなり、洗濯機をスタートさせて寝て起きたら
朝には生乾きの洗濯物が洗濯機の中に入っていて、げんなりすることが何度もあった。
冬ならまだしも、暖かい季節に生乾きの洗濯物というのは、衛生面でよろしくない。

乾燥フィルターが詰まっているのか?と丁寧に掃除してみても変わらない。

変なにおいがついてしまった洗濯物を煮沸消毒して余計に手間が掛かったりするうち、
洗濯機は洗濯モードでしか使わなくなっていた。

夜は起きている自信があるときしか洗濯しなくなり、休日にまとめて洗うようにした。
朝イチで洗濯機をまわせば、干してから出勤できることも分かった。

 

偶然ネットで見た記事で知った。
これらの症状は全部、乾燥機付き洗濯機あるあるらしいのだ。

乾燥フィルターを掃除していても、ダクトの中にホコリが溜まっていき、
だんだん乾燥の効きが悪くなる。

特徴としては、乾燥フィルターに出てくるホコリの量が減る。
ダクトが詰まってきて、フィルターまでホコリが達しなくなってくるらしい。
フィルターのホコリが湿っぽくなるという特徴もあるらしい。

当てはまる。

これを解決するには分解掃除が必要で、業者さんを呼んで掃除してもらうしかないらしい。
業者さんを呼んでの掃除は定期的に必要なことらしい。
購入からもうすぐ3年、まさにこの症状だったのだろう。

今思えば、挙動がおかしくなった時にちゃんと調べればよかった。
何となくめんどくさくなり、なんとなく使わなくなって1年くらいたっている気がする。
もったいなさすぎるし、変化に対応するべきIT職にありながら
私生活がこの体たらくというのは、人になかなか言えない。

ある日急に壊れたならどうにかしただろうに、
だんだん悪くなっていった+仕事や子どものことで常にバタバタしていた のコンボで
人はここまで堕落するのだ。

 

反省して、すぐ対処することにした。
業者さんを呼ばすに自力で解決しているツワモノたちの記事もネット上に多々ある。
自己責任にはなるが、100均で掃除グッズを買ってきて、ダクトのホコリ取りをした。
自分でやるつもりだったけれど、夫がノリノリでやってくれた。

結果、大量のホコリが取れ、洗濯フィルターにも大量のホコリが詰まっていた。
(構造上、ダクトのホコリは洗濯槽に落ちてフィルターに行くらしい)
その後、ドラムクリーニングモードで洗濯機を回すと更にごっそりホコリが取れた。

そうして我が家の乾燥機は復活した。

スイッチを入れてそのまま寝ても、朝はふわふわの洗濯物が仕上がっている。
乾燥フィルターには以前のように乾いたホコリが入るようになった。
乾燥機を買ったばかりの頃の感動を、今もう一度味わっている。

 

乾燥機の効きが悪くなったら、ぜひダクト掃除を。

日常タイムテーブル~2017年1月現在

振り返れば意外と長く続いたこのブログ。
過去記事はこちら。

生活はすっかりパターン化した、と思う。
そしてその分、堕落した。

慣れもあるし、職場が近くなったのもあると思う。

 

AM5:30 スマホのアラームが鳴る。スヌーズにして二度寝する。
 何度か鳴ったら寝たままスマホで何か見始める。ブルーライトで起きる作戦だ。

AM6:00 この時間までには起きたい。でもたまに6:30を過ぎたりしている。

AM6:30 6:30までに起きられていれば、起きてすぐ洗濯機を回し始める。

 なぜこうなるかと言えば、夜に洗濯をしないで寝てしまうからだ。本当に堕落した。
 でもその分、朝一でスイッチを入れれば十分間に合うことも学んだ。
 その後、朝食準備。
 以前は毎朝パンと卵と決めていたけれど、自分の体重や子どもの健康面を考えて
 週の半分はごはん食にシフトした。
 おかずは作り置きか、手作りふりかけかそぼろか。
 ごはんができたら子どもを起こす。

AM7:00 夫は食事を終え、シャワーへ行く。
 子どもと自分は夜に入るようにしたので、朝はなし。
 子どもは赤ちゃんの頃より食事に対する集中力がなくなり、のんびり最後まで食べている。

AM7:10 子どもに着替えるように促す。
 自分も身支度をして、洗濯物を干す。

AM7:30 そろそろ出かけたい…と思うのに、子どもが着替えずにぐずっていたり、
 逆に早く支度が出来て遊び始めてしまったりで、なかなかうまくいかない。

AM7:40 家を出る。夫は会社へ、子どもと自分は保育園へ。

AM7:50~8:00 保育園に着き、支度をして自分は会社へ向かう。
 朝ゴネられることはほぼなくなった。本当によかった。

日中は仕事。

PM5:30 定時ダッシュは変わらず。仕事が詰まっている時は少し残業もする。

PM6:40 保育園お迎え。
 大体は機嫌がいいけれど、「ああもうきちゃった。あそびたかったのに」などと言われる日もある。
 迎えに行くと満面の笑顔で走ってきてくれた頃はもう幻なのか…と思う。

PM7:00  帰宅し、食事の準備をする。
 お米はタイマー機能で帰宅時間に炊けるようになっているし、
 おかずは週末に作り置きをしているから温めるだけで済む。(幸せ!)
 自分も一緒に食べることができて
 空腹でイライラすることもなくなり、夕方におやつを食べる必要もなくなった。
 本当によかった。

PM7:40 食事のあとはお風呂。
 お風呂はタイマーで沸かしておくという知恵がついた。
 (なんで以前はタイマー機能を使っていなかったんだろう?)
 平日はお風呂イヤイヤせず入ってくれるから助かる。(休日はゴネられる)

PM8:40 寒いとつい長風呂になってしまう。
 お風呂から上がり、髪を乾かし、乾燥肌にクリームを塗って寝る支度をする。

PM9:00 布団に入る。入りたい。最近は9時を過ぎてしまうことも多い。
 寝る前の絵本の習慣は変わっていない。
 最近は長いお話を好むようになってきて、絵本タイムは伸びているかもしれない。
 その代わり、簡単な本なら私に読み聞かせてくれるようになった。
 いつの間にかひらがなを覚え、「っ」などの小さい字も理解し、
 「は」をはと読む場合とわと読む場合の判別がつくようになっている。すごい。

PM9:30 遅くてもこの時間までには眠っている、と言いたいけれど、たまに時間オーバーしている。
 以前は週に1~2日だった寝落ちが、最近は平均週4くらいになっている。
 もはや寝落ちではなく計画的就寝かもしれない。
 意識をなくさなかった日も、寒い中起きるのはな…と思って寝てしまうことが増えた。
 堕落している。

 

主なおかずは週末に作っているし、洗濯は朝にするから
寝落ちしても困らなくなった、ということが原因なのかもしれない。
寝落ちが増えたから対策したのか、どっちが先かはよく分からない。

困ることはなくても、そのぶん
夜の一人の時間にやっていたこと、ブログや勉強や読書の時間はぐっと減った。
このままではよくない、堕落している、と思う。

一方で、
「ワーキングマザー」とか「復職女性」とか聞くとすごく大変そうに聞こえるけれど
意外と堕落していてもやっていけるんだな、ということが分かって
これはすごい収穫なんじゃないだろうかと思う。

もしこれから復職する方が見ていたら、声を大にして言いたい。

毎日8時間働いて9時間睡眠をとっても、生活できますよ、と。
9時間も寝なくてもいいと思うなら、そこを少し減らして好きなこともやれますよ、と。

褒められて凹むなんて理不尽だ(だが現実だ)

気づけば年の瀬、クリスマスプレゼントの手配や年末年始の過ごし方を気にする時期になった。

勤めている会社では年末恒例の社員表彰が行われる。

昨年に続き、賞をいただいた。
それ自体はとても、とてもありがたいことだと思う。
復職さえできればと考えていたころ、
復職してギャップに苦しんだことを思えば
元気で働けて表彰もされて、こんな嬉しいことはない、はずだ。

なのに気分が落ちる。
思えば昨年もそうだった。
表彰理由の「子育てと仕事を両立し」の文字。
男性社員にはつかない枕詞が、私にだけつく。

私は時短ではない正社員だ。
それでも、母親というだけで子育てとセットで語られてしまうのか。
私は他の社員と同じではない、そう突きつけられた気持ちになる。

私の会社には、子どもがいる女性社員はいない。

たしかに急な残業はできない。
休日も頻繁には出られない。
だから他の人とは違うのかもしれないけれど、
それにしても。

昨年末もこんな気持ちになったのだった。
もっと前にも、こんな気持ちをブログに書いた気がする。

検索したら出てきた。
http://espam.hateblo.jp/entry/2014/04/08/子どもがいることは遜色なのだろうか

2年半も前から、私の気持ちは同じところで止まっているのか、と思った。

ハラスメントを受けているわけではない、気にしすぎなのかもしれない。
どうやってこの現状を受け入れていくのか、しばらく考えてみたいと思う。

「「めんどうくさい人」の接し方、かわし方」

 タイトルで注目されようとする本が好きではない。

中身も伴っていてタイトルも良ければそれはいいのだけど
大抵はタイトルのインパクトがいちばん強くて、中身は…?という読後感になるから
そういう本は手に取らないようにしていた。

具体的に言うと
「○○なら××しなさい」という命令形とか(健康系に多い気がする)、
「なぜ○○は××なのか」という素朴な疑問形とか(タイトルについての内容はごく一部で肩透かし)、
「困った人への対処法」系の、自分だけは常識人ですと言いたげな本などなど。

その流れからいくと、この本は普段なら手に取らないタイトルだと思う。
ビジネス書のコーナーにあって意外に思い、作者名が「立川」でおやと思って、
表示に勘亭流フォントで書いてある「師匠談志と古典落語が教えてくれた」
の文字に気づいたから手に取った。

立川談志師匠とのエピソードも織り交ぜながら進んでいくこの本、
著者の家族やスマホ、「ドラえもん」の例まで出てきて飽きずに最後まで読める。
落語の定番キャラ「与太郎」や「一八」の解説もあり、意外な活用法ありと
落語世界と現代世界がいい感じに融合していて楽しめた。

 

噺家さんの書くことなら身のない話ではないだろうな、と思って読むことにしたものの、
特に期待はしていなかった。
これを読んだからって日常が快適になるとか、心機一転とか、そんな効果は期待せず。 

確かに「少しだけ嫌なモノや人」を形容するのに、「めんどうくさい」という言葉は非常に便利です。人間、「本当に嫌な人やモノ」は口に出すだけでも憚られるものです。

特に日本人は「言霊のさきわう国」に生まれ育ったせいか、その傾向が強いような気がします。

確かに嫌な人の名前を口に出すのも嫌で、あだ名で呼んだりするなーと小さく納得しながら読む。

ハウツー本のようなタイトルでありながら、「めんどうくさい」という言葉の有用性、なぜこの言葉がこんなに使われるのか、そもそも面倒くささとは何か…という話が展開されていく。 
ちっともハウツー本の気配がない。

文明が進歩すれば、強制的に「めんどうくさいもの」を検索検知し、それを解消しようと動きはじめます、それが「文明の進歩」なのです。

この事は、主体を人間に置き換えてみると、「めんどうくさい人やモノ」が増えてきたというのでなく、かつては「めんどうくさくなかった人やモノ」までも、「めんどうくさい」と思うようになった真面目な人が増えてきたとも言えます。

(略)

つまり、文明は「従前のそれまでのめんどうくささ」を処理はするけど、その進歩につれて「新たなめんどうくささ」をもたらすものとも言えます。

つまり、どうあがいても「めんどうくささ」の呪縛からは逃げられないのです。腹を括るべきなのです。では、この世の中から「めんどうくさい人やモノ」がなくなったらどうなるでしょうか?

 文明が進歩して便利になる=かつては普通だったことが面倒になる、という話。
そして文明がもたらす新たな面倒くささからは逃げられない。なるほど。

めんどうくささに対応することで自分も成長できる、
だからめんどうくささを避けるべきではないと話が展開される。

これをそのまま書かれると「そうは言っても…」と説教臭さに反発したくなっただろうけれど、
こまごまと例を挙げ、考察しながら進んでいくから、すっと入ってくる。

では、いざめんどうくさい人と対峙したときにどうするかというところで
与太郎」「一八」の話になる。

「ガミガミ型」には与太郎対応を

ガミガミ型の上司の感情に合わせてしまってはどうにもなりません。「こんな場面だったら、与太郎ならどうするだろうか」と今の辛い現状を鑑みながらつぶやいてみると、ふと「なんだこれって、落語じゃないか」と思える瞬間が必ずあります。

(略)

「ネチネチ型」には幇間持ちの一八対応を

「めんどうくさい人」に左右されないように、むしろ自分が相手を左右してやるように振る舞うべきなのです。

 

落語と談志師匠、著者の経験談を織り交ぜながら軽妙に進むこの本の、
雰囲気が急に変わるのが最後の章。

「昨日、はじめての給料が入ったんだ。じゃあ買うよ」

その少年はぶっきらぼうに言いました。野球帽をおもむろに取ると、頭には傷がありました。私は胸が詰まり涙がこみ上げてきました。 

意外な展開に、ちょっと泣きたい気持ちにさせられた。
さすが噺家さんは笑わせるのも泣かせるのもうまいのか、と納得しつつ読了。 

「良心をもたない人たち 25人に1人という恐怖」

 昔、子どもが生まれるより前は、読書は趣味と決めていた。
(仕事の本は読まない、意識高い本は読まない、ミステリや娯楽小説を余暇に読むという意味で)

 

でも子どもが生まれ、復職してからは、自分の趣味だけに時間を使うことが難しくなった。
読書というのはあまり時間対効果が高い趣味ではないというのもある。
読めば続きが気になるし、同じ作者の他の本も読みたくなってしまうから、少ししかない余暇を使うには適さない気がした。

 

じゃあ趣味だけの読書をやめようと思い立ち、
ビジネス書からレシピ本、家事ノウハウやハンドクラフトの本までを
読み漁るようになったのが復職後のことだ。

熱中してしまう本は向かないけれど、ジャンルを選べば電車の中で細切れにも読める本はある。
セミナーや勉強会にあまり行けないぶん、ビジネス書を読んで補う。

効率よく家事をやるため、子どもの服を作るため、なるべく手抜きして掃除を片付けるため、
あらゆる目的に読書は役立った。

 

こう考えると読書はずいぶん役立つ趣味であるように思う。
前書きが長くなったけれど、最近読んで気になった本がこれだ。

 

良心をもたない人たち (草思社文庫)

良心をもたない人たち (草思社文庫)

 

 

タイトルがちょっとトンデモ本っぽく感じられるし、
自分が読んだハードカバー版は表紙の絵もちょっと怖くて、
誰かに勧められなければ読まなかった本だと思う。
読みながら誰かの顔を思い出してしまったり、自分の行動を振り返ったり、
自分の考えを揺さぶられるような気持ちになる本だった。

 

この本はサイコパスのことを「良心をもたない人」として紹介している。
自分は恥ずかしながら、サイコパスのことを漠然と「冷酷な殺人鬼」のような印象でとらえていた。
つまり、日常ではめったに出会うこともない、
主にミステリーなどに登場する存在として認識していたということになる。
この本を読む前なら、「身近にサイコパスがいたか?」と聞かれたら
そんな人には会ったことがない、と答えていたんじゃないだろうか。

本のサブタイトルにある通り、アメリカでは人口の4%(25人に1人)がサイコパスだと考えられているらしい。
25人に1人なら学校のクラスに必ず一人はいたことになるし、
子どもの保育園のクラスにだっているかもしれない。
(サイコパスは子どものころからサイコパスなのだろうか?)

 

欧米よりアジアの方が割合が低いらしいが、
それにしても今までの人生で1人も出会っていないということはない、はずだ。
サイコパスは凶悪な殺人犯というわけではなく、
フィクションの世界のように分かりやすい悪人面もしておらず、
むしろ高い地位や肩書きを持っている場合もあって、
普通に世界に溶け込んでいる、とこの本は指摘する。

 

たとえばスーパーで、頻繁ではないが稀でもなく見かける光景がある。
冷蔵で販売すべき商品が常温のお菓子の棚に置き座られていたり、
アイスケースの中にパンが放り込まれていたりするのを、
子どものいたずらかな?戻すのが面倒で手近に置いたのかな?と思っていたけれど
あれもサイコパスの仕業だったのかもしれない。
道端にごみを捨てたり、自転車を盗むのもそうなのかもしれない。

 

反社会性人格障害」の臨床診断では、以下の7つの特徴のうち、少なくとも3つを満たすことが条件とされている。
  1. 社会的規範に順応できない
  2. 人をだます、操作する
  3. 衝動的である、計画性がない
  4. カッとしやすい、攻撃的である
  5. 自分や他人の身の安全をまったく考えない
  6. 一貫した無責任さ
  7. 他の人を傷つけたり虐待したり、ものを盗んだりしたあとで、良心の呵責を感じない
サイコパス全体に共通するものとして、別の特徴をつけ加えた研究者と臨床家もいる。そのなかで最も目につく特徴の一つが、口の達者さと表面的な魅力である。

 

正直、1~7の特徴は、「これがサイコパスだ」と言われてもぴんと来ない。
社会的規範に順応できないのは、衝動的なものを除く犯罪者全般が当てはまる気がするし、
カッとしやすいとか無責任とかは特段珍しい特徴でもない。
良心の呵責を感じないかは本人にしか分からないし…
と思いながら読んで、「口の達者さと表面的な魅力」で何が分かったような気になった。

最初はすごく立派な人に見えるのに、しばらく付き合うと裏が見えてしまう人。
自分を良く見せる嘘ばかりつく人。
こういう人、いる。
サイコパスかは分からないけれど、漠然といやだなあと思っていた付き合いを
清算したほうがいいのかもしれないと思えた。

 

良心のない人に対処する13のルールから、なるほどと思ったものを抜粋する。

2.自分の直感と、相手の肩書――教育者、医師、指導者、動物愛好家、人道主義者、親ーーが伝えるものとの間で判断が分かれたら、自分の直感に従うこと。

3.どんな種類の関係であれ、新たなつきあいが始まったときは、相手の言葉、約束、責任について、「3回の原則」を当てはめてみること。
 1回の嘘、1回の約束不履行、1回の責任逃れは、誤解ということもありえる。(略)
 だが嘘が3回重なったら嘘つきの証拠であり、嘘は良心を欠いた行動のかなめだ。(略)
 あなたの お金や仕事や秘密や愛情を「3回裏切った相手」にゆだねてはならない。

6.必要なときは、尊敬の意味を自分に問い直すこと
 私たちは恐怖心を尊敬ととりちがえることが多い。

8.サイコパスから身を守る最良の方法は、相手を避けること、いかなる種類の連絡も絶つこと
 まずは、あなた自身の交友関係と社会生活から彼らをしめ出すこと。
 その行動は誰の気持ちも傷つけない。傷ついたふりはするかもしれないが、
 サイコパスに傷つくという感情はないのだ。

10.治らないものを、治そうとしないこと

13.しあわせに生きること
 それが最高の報復になる。

 

 

なぜ私は手作りの服を作るようになったのか(3)

なぜ私は手作りの服を作るようになったのか(1) - IKISG

なぜ私は手作りの服を作るようになったのか(2) - IKISG

ここまでの気づき

・店では買えないものを作ればいい。
・テクニックやデザインは既製品に及ぶべくもないけれど、
 子どもが気に入った服のリメイクだったら負けない。
・材料費が高いなら、材料費がかからないものを使えばいい。

 

子どものお気に入りTシャツをリメイクして巾着を作り、保育園用のおむつ入れとして使った。
子どもは得意がって先生に見せ、先生は「裁縫なんてえらいのね」と褒めてくれる。
大したことではないのは百も承知だけれど、「いいお母さん」として認められるのは嬉しいものだ。

 

そんな日々、夫が古いワイシャツを捨てると言っていた。
今まで捨てずにため込んでいたけど、ずっと着ていなかったものを処分するという。
見れば襟や袖は古びているものの、身頃の布はきれいなままだ。
しかも高そうな厚手の木綿。

捨てたらもったいない気がして、もらった。

 

シンプルなスカートかワンピースでも作ろうか、と考えながらワイシャツを眺めていると、
袖が子どものズボンサイズにちょうどいいような気がしてきた。
(当時、子どもはサイズ80~90くらいを着ていたと思う)

 

とりあえずワイシャツの袖を肩から切り落とし、カフスも切る。
アイロンをかけ、ズボンのすそになる手首を折り返して縫い、
股になりそうなあたりを縫い合わせ、ウエストにゴムをいれて、子どもズボンは完成した。

 

最初はローライズすぎたり、子どもが動くうち股が破けたりと素人な失敗もたくさんした。
でもワイシャツはいくらでもあるのだ。
どうせ捨てるつもりだった物、失敗しても痛くもかゆくもない。
無駄に自信をつけ、何枚も作るうち、なんとなくコツが分かってきた。
丈を変えたり、裾の形を変えたり、ポケットを付けてみたりと少し凝る余裕もできた。

 

捨てるはずのものを有効活用して、
しかも買えば高そうな布で、子どもの服を手作りする。
子どもが寝て家事を終え、ただミシンを掛ける時間はなかなか悪くなかった。
無心になれた。

 

手作りは楽しい。もっと作りたい。
しかしワイシャツはいつか尽きる。その前に自分が飽きる。
ワイシャツじゃない、別のものを縫いたい。そう思った。

(つづきます)

 

私と子どもは違いすぎる

下書きフォルダを見てみたら下書きがたくさんたまっていたので
拾い上げてみる。
これは2015/01/06に書かれたもの。

 

子どもは私にないものをいっぱい持っている。それは若さとかそういう当たり前のものではなくて、
たとえば可愛がってくれる祖父母とか、子どもを大事にする父親とか、そういうものだ。

 

この先どうなるかは分からないけれど、
このまま何事もなく夫と私が仕事を続け、大きな不幸も起きなければ
この子は親の借金に不安を感じながら育つこともないだろう。

 

私が子どものころ不幸だと感じていたことを、この子が感じないで済むなら
それはとてもとても幸せなことだと思う。

わが子はもちろん、他の子どもにだって、私の子ども時代のような気持ちを味わってほしいとは思わない。

 

でも同時に心配にもなる。

もし不幸が今の私の一部を作ってくれたのだとしたら、
幸せに暮らすこの子は将来何になるのだろう。

 

今となっては不幸が不幸だったのかもよくわからない。